ルカ23:26-43

 今日わたしと一緒に楽園に

 


1.十字架刑 

 「十字架刑」は、罪人を意図的に長時間苦しめるべく考案されたローマの極刑です。39回むち打ちした後、十字架の横木を背負わせて処刑場まで歩かせます。そこで、横木に打ち付け、縦木に取り付けます。基本的に、人々にその姿を晒すこと、そして苦しませることを目的としています。

 ローマ兵の使う鞭(むち)は「フラグラム」と呼ばれ、鉄の玉が入った編み込み式の革紐であり、これで打たれると、中に入った鉄によって強度の「打撲傷」と「挫傷」が引き起こされます。ですから、むち打ちの時点で、傷だらけとなり、中には死んでしまう人もいました。シモンと言う人がイエス様に代わって十字架を背負うことになりました。すでにイエス様は、横木を背負いきれないほど、傷んでいたと思われます。

2.罪名

 『23:38 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。』

ローマ人は、イエス様の事を「ユダヤ人の王」と呼び、反逆者扱いをしました。このことから、十字架の罪状書きにはINRI (ラテン語:IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVMの頭文字)と書かれた絵画が多くあります。日本語では「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されます。


3.何が幸い

『23:29 人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。』


 その日とは、紀元70年。エルサレムがローマに攻められ、神殿崩壊となりました。その時は、ローマ軍に囲まれ、徹底抗戦するも、食料不足に悩まされました。そして、様々な悲劇がおこります。フラウディウス・ヨセフスが「ユダヤ戦記」の中に克明に記録していますが、飢えた母が、子供を食べるようなありさまでした。イエス様は、自身が処刑されるのを悲しむよりも、この不幸な子供たちのために悲しむように婦人たちに言いました。


4.エルサレム崩壊の預言

 ホセア『10:8 アベンの聖なる高台/このイスラエルの罪は破壊され/茨とあざみがその祭壇の周りに生い茂る。そのとき、彼らは山に向かい/「我々を覆い隠せ」丘に向かっては/「我々の上に崩れ落ちよ」と叫ぶ。』

 エルサレム崩壊の時、何千人もの人々が下水道にさえ忍び込み、そこで惨めに死んだか、虐殺に引きずり出されました。ローマが生きた木にこれらのことをするなら、乾いた木で何が行われるでしょう。

ローマが、無実の私にそのような重い罰を与えるならば、神様のローマへの裁きは恐ろしいものでなければなりません。 そして、乾いた木を燃やすのと同じように、ローマへの罰をふさわしいものにします。これはことわざであります。善人を緑の生きた木に、悪い人を死んで乾いた木に例えるユダヤ人の間で頻繁に使われました。


5.あざけりと犯罪人

 イエス様の服をくじ引きしている兵士。そして、同時に二人の十字架刑の執行。これらは、イエス様を辱めるものです。人としての尊厳を無視し、そして犯罪者と同じ扱いをする。そして、イエス様は何もできません。しかし、イエス様はこの悲惨な目に合わせている人々を、神様にとりなします。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」


 一方で、イエス様はあざけられました。相手がどうすることもできないと、人は冷酷になるのです。

民衆と議員:「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」

兵士たち :「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」

十字架にかけられていた犯罪人の一人:「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」

 すると、犯罪人の一人が、たしなめ、そしてイエス様への信仰を表します。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。23:41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」23:42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」

 彼は、自身が罪人であることを認め、そして、ユダヤの王国ではなくて、霊的なイエス様の王国を建設するために、イエス様が再臨されるとき、共にその王国に入りたいとの希望を表明します。つまり、彼は、イエス様が教えていた王国が来ることを信じたのです。そして、イエス様を信じた彼の罪は赦されたのです。

イエス様は、それに答えます。『あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』 彼の信仰によって、死に向かう恐怖から救われたのです。