ヨシュア記2:1-14

ラハブの信仰

2021年 718日 主日礼拝

ラハブの信仰

今日はヨシュア記からみ言葉を取次ぎます。ヨシュアと言えばモーセの後継者として、神様が約束されたカナンの地をイスラエルにもたらした指導者という事で、皆さんよくご存じのことです。実際ヨシュア記は歴史書の一つなのですが、モーセ5書に匹敵すると言う意味で、モーセ6書に数える人もいるそうです。これを書いたのは、アロンの息子たちであると伝承されています。

ヨシュアの活躍の中で特に有名なのは、今日の聖書箇所から始まる、エリコを攻め落とす物語です。契約の箱と角笛を吹く祭司を先頭にイスラエルの民をエリコの周りを回らせ、次の日には2回、その次の日は3回と言うように毎日回る回数を増やして、7日目に7回回ったら、鬨の声を上げたということです。その結果は聖書にこのように書かれています。

ヨシュア『6:20 角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。』

 

この様な記事があるものですから、廃墟となったエリコの古い方の町は、考古学者の格好の研究材料になってきました。その理由は、崩れた城壁を見つけ出し、崩れた原因を探りたいという事です。本当に崩れた壁は考古学者の努力によって見つかりましたが、年代的にはかなり古いものなので、残念ながらヨシュアの時代のものではありませんでした。

エリコの町を少し説明しましょう。死海の北西15kmにあった都市で、紀元前8000年には周囲を壁で囲った集落がありました。その関係で、世界最古の町と言われています。旧約の時代のエリコの町は、新石器時代から何度も民族が入れ替わったり、放置されたりしていました。そして、聖書によりますと、このころはカナン人が住んでいたという事です。イスラエルの民は、ヨルダン川の東側に来ていましたので、ヨルダン川をわたればもうそこはカナンの地です。約束の地を目の前にして、ヨシュアは、エリコの町を攻め落とす準備として、偵察をする斥候を出しました。もちろん、エリコの町にとっては他の民族がこの地方まで移動したのですから、穏やかな話ではありません。そして、イスラエルの民がヨルダン川を渡ったら、すぐ目の前にあるエリコの町ですから、このままでは衝突は避けられません。

ヨシュアは、神様が「カナンの地を与える」とされたことを信じ、ヨルダン川を渡って、エリコの町を攻め落とすことを決意していました。そしていよいよその時が来たのです。

ヨシュア記『1:11 「宿営内を巡って民に命じ、こう言いなさい。おのおの食糧を用意せよ。あなたたちは、あと三日のうちに、このヨルダン川を渡る。あなたたちの神、主が得させようとしておられる土地に入り、それを得る。」』

このように1章ではすぐにでもヨルダン川を渡ると宣言しますが、2章でどうなったかを見ると、斥候二人が三日間エリコ付近を偵察しただけでした。ヨシュアは何の行動も起こしていません。やはり、神様からの約束とは言え、慎重だったことがわかります。

話は変わりますが、この物語には、もう一つ興味深いことがあります。ラハブの子はボアズであることです(マタイ1:5)。そして、ボアズの子がエッサイ、エッサイの子はダビデです。つまりあのダビデ王は、ラハブのひ孫だと伝承されているわけです。伝承としか言えないのは、本当にラハブがイエス様の系図に連なるのかどうかについて、証拠が見つかっていないからです。しかし、ラハブの名が旧約聖書でもそして新約聖書でも伝承されているという事は、少なくとも「イスラエル民は、このラハブを高く評価しているからだ」と言えます。ラハブは、イスラエルの神を畏れ、そして、イスラエルの神によってエリコの町が滅ぼされることをすでに覚悟していました。そして、斥候たちが偵察に来たことを知って、大胆な行動に出たのです。こういうラハブの姿が、イスラエルの民に評価されたのだと思われます。

ところで、斥候は、だいたい二人で行動するのが基本です。もちろん斥候は武装をした状態では目立つので、地元の人や旅の商人に扮するわけです。その二人の斥候をラハブは、見破っていたと思われます。そして、二人の斥候はラハブとの会話で、その偵察の目的を達成しました。ラハブは、斥候を見破っていただけではなく、その斥候が今必要としている情報も分かっていたのです。一般的に、敵地を偵察する目的はこのようなものです。まず、道案内ができるようにならなければなりません。どの道を進めば、敵に攻められずにキャンプが張れるのか、そして、しばらく生活するための水や食糧が確保できるかが重要な情報です。当然ながら、敵の軍隊がどこに何人いるのか等を把握し、相手の軍事力を評価しなければなりません。もちろんその結果、勝てないならば戦ってはいけないのです。そしてもう一つの偵察の目的は、敵の士気が高いかを判断することです。例えば、内輪もめをしていたり、武器や水食料の備蓄が少なかったりすると、混乱やひっ迫感で、大勢の兵士がいても浮足立ってしまうからです。逆に、戦力が少なくても士気が高く維持されている間は、攻めることは難しくなります。つまり、闘うかどうかは、斥候の偵察によって大きく判断が変わるのです。そういう重要な偵察を担って、二人の斥候はエリコの町にやってきて、城門から城内に入り込んだわけです。

ラハブは、エリコの町の城壁を壁の一部としている家に住んでいました。(ヨシュア2:15)ですから、ラハブの家はイスラエルが攻めてきたら、真っ先に攻城機という名前の大きな槌で破壊されるような場所にあったわけです。そのことを考えると、ラハブの家はエリコの町の中で最も直接的にイスラエルの攻撃にさらされると思われます。また、ラハブは、助かるためには、どうしたらよいかを考えていたのでしょう。そんなラハブを神様は御業のために用いられました。

さて、斥候がラハブの宿にいるうちに、王様からラハブへの使いが来て、エリコを探りに来た人を引き渡すように言われます。すると、ラハブは二人の斥候を隠して、このように言います。

『その人たちは出て行きましたが、どこへ行ったのか分かりません。』

こうして、ラハブは王様の使いを追い返しました。そして、ラハブの言葉によって、王様の追手が城門から出て行ったことを確認すると、二人の斥候に話します。

『主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、わたしたちが恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、おじけづいていることを、わたしは知っています。』

そして、ラハブは、このような判断を伝えました。これは、偵察をした目的に対する答えとして十分でした。

『わたしたちの心は挫け、もはやあなたたちに立ち向かおうとする者は一人もおりません。』

そしてここからが、ラハブのお願いとなります。

ラハブのお願いは、「あなたたちをかくまったのだから、あなたたちも、わたしの一族を助けてください」という事でした。やがてイスラエルがエリコを攻めに来た時に、一族を助けるように、そしてそのことを神様に誓うようにお願いしたのです。

 二人の斥候は、ラハブの話を聞いて、そこに真実があるとわかりました。だから、このように返事をします。

『2:14 二人は彼女に答えた。「あなたたちのために、我々の命をかけよう。もし、我々のことをだれにも漏らさないなら、主がこの土地を我々に与えられるとき、あなたに誠意と真実を示そう。」』

 

斥候という仕事には、人の心を読み取るような能力が必要です。なぜならば、斥候がだまされると、戦術全体を間違うため、勝敗に大きな影響が出るからです。ですから、斥候はよく訓練された者にしかできなかったのです。その斥候たちが、ラハブのいう事を真実だと信じたことがわかります。しかしこれは、重大な判断です。もし、エリコの王様が仕組んだ罠だったら、エルサレムの民はこの戦いに負けてしまいます。そうなると、イスラエルの民はまた砂漠をさまよう事になりかねないのです。それなのに、この斥候二人はラハブがイスラエルの神様がされるだろう業を酷く畏れ、そして一族が助かる方法を探したのだと判断しました。ラハブの神様への畏れを重く受け止めたのだと思います。

さて、斥候たちは、まだエリコの城内にいますから、今から安全に脱出する必要があります。だからラハブのお願いにNoとは言えない状況ではあります。しかし、察しの良いラハブのことですから、口先での了解だったら、そのまま斥候を返さないでしょう。ラハブは、この二人の斥候がラハブのお願いを真摯に受け止め、神様に誓ったので、この二人を帰しました。もちろん、捕まることが無いように配慮しました。斥候たちがラハブのことを伝えなければ、ラハブはエリコの町と一緒に滅んでしまうからです。そして、イスラエルの民がラハブの一族を助ける行動をとらなければ、エリコの町と一緒に一族は滅んでしまいます。ですから、ラハブは斥候達がラハブとの約束を神に誓うようにお願いしたのです。神様に誓ったことは、確実に守ってくれると信じていたからです。

 

このラハブの行いは、仲間であるエリコの町の人々を裏切るような結果となります。なぜ、その判断となったのでしょう。「エリコの町をイスラエルの神はイスラエルの民に与えられた」とラハブは言っていますから、「イスラエルの神は間違いなくエリコを陥落させる」と確信をもっています。この畏れは、イスラエルの神様が約束した数々のことが、必ず成就してきたことへの驚きから始まります。そして、今現実に自分の住んでいるエリコの町をイスラエルの民に与えることが約束されていては、畏れるしかありません。このこともまた成就するからです。  

見方を変えますとラハブはイスラエルの神の力を認め、信じてしまっていたのです。ですから、イスラエルに与えられた町が助けられるとは考えられなかったのです。現実的にすでに状況が進んでいます。ヨシュアは斥候を出しましたし、それを知ったエリコの王様は斥候を探しています。斥候は斥候で、隠れてエリコの町を偵察している状態ですから、平和的な解決を期待できないことは明らかです。ラハブから見て、このまま戦いになってエリコが敗れることは明らかだったのです。そして、戦争と言うのは、人や財産を奪うものですから、負けた側には絶望でしかありません。そこで、ラハブが考えた生きながらえる手段は、イスラエルの神様側につくという事だったのです。そう言うことから、ラハブはエリコの町を裏切った婦人というよりも、「イスラエルの神様の力を知り、そしてその約束が必ず成就する」と信じた婦人だと評価できると思います。今、戦いを目前にしてイスラエルの神様を信じ、そして神様に二人の斥候を通して手伝いをしました。そして、神様はラハブ自身と家族をも必ず助けてくれると信じたのです。すでに、斥候たちを思い通りに動かせるような交換条件はありません。ラハブは、出来ることをすべてやり切ったので、神様に委ねるだけだったのです。斥候たちは、そのラハブの信仰を見て、『あなたに誠意と真実を示そう』と誓ったのです。

 

ラハブは、マタイによる福音書のイエス様の系図に載っているように、イスラエルの中で、結婚し子供を持ちました。イスラエルの民は、ラハブの一族を助けた結果です。異邦人であるラハブは、こうして神様に出会い、そして神様を信じました。そして、神様によって用いられ、神様に助けられました。神様は、思いもかけないところで、異邦人に伝道をし、また大事な役割を担わせました。

神様のこの大胆なご計画は、成就しました。私たちも、神様の導きに信頼し、そして神様に委ねて、そして神様のご計画が成就することを信じてまいりましょう。ラハブの持った信仰は、神様の恵みによってわたしたちも与っています。神様に委ねる信仰を、ラハブの様に大切に守って参りましょう。