バラム:占い師(ヨシュア13:22)で、ユーフラテス川流域の町ペトルに住んでいた。
バラク:モアブ人の王
1.バラムを招聘しようとするバラク
モアブの王バラクは、同族の国であるユーフラテス河畔の町に住む占い師のバラムを招こうとして使者を送り、イスラエルの民を呪ってほしいと頼みました。するとバラムは、「主が私に告げられることを答えましょう。」と応えます。神様はバラムに言いました。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。またその民(イスラエルの民)を呪ってはならない。その民は祝福されているからだ。」という主の声を聞いたので、使いの者たちを帰しました。
バラクはバラムにイスラエルを呪ってもらうために使者を遣わしますが、簡単に断られてしまいました。ところがバラクは簡単には引き下がりません。より身分の高い者たちを遣わし、しかも厚遇の扱いで招聘しようとしたのです。
そして、とうとうバラクはバラムに会いますが、バラムは神様からの託宣のみを伝えるように釘を刺されています。バラクは祭壇の準備をバラムに依頼すると、神様に会い、そして神様の言葉を受け取ります。
2.バラムの託宣
『バラクはアラムから/モアブの王は東の山々からわたしを連れて来た。「来て、わたしのためにヤコブを呪え。来て、イスラエルをののしれ。」23:8 神が呪いをかけぬものに/どうしてわたしが呪いをかけられよう。主がののしらぬものを/どうしてわたしがののしれよう。23:9 わたしは岩山の頂から彼らを見/丘の上から彼らを見渡す。見よ、これは独り離れて住む民/自分を諸国の民のうちに数えない。23:10 誰がヤコブの砂粒を数えられようか。誰がイスラエルの無数の民を数えられようか。わたしは正しい人が死ぬように死に/わたしの終わりは彼らと同じようでありたい。』
このバラムの最初の託宣は、モアブ王バラクを失望させたことは言うまでもありません。次のバラクの言葉はそのことをよく表わしています。
『 23:11 ~「あなたは、何ということをしたのですか。わたしは敵に呪いをかけるために、あなたを連れて来たのに、あなたは彼らを祝福してしまった」』
バラムは、当時の伝統に従い、七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊を献げました。これは贅沢な儀式で、神様の好意を得ようとするものです。しかし、神様はこうした人間の儀式には動かされません。むしろ神様はバラムにことばを授け、彼が命じられた通りに伝えるようにします。そしてバラムは、モアブの王バラクのもとに戻り、その通りに語ったのです。
バラムが語った内容は、へブルの詩の形式で示されました。この形式の特徴は、最初の行と次の行が平行関係になり、内容を強調することです。
「神が呪いをかけぬものに/どうしてわたしが呪いをかけられよう。主がののしらぬものを/どうしてわたしがののしれよう。」(8節) この詩がその例です。
バラムが語ったのは、イスラエルが神様に選ばれた特別な民であるということです。彼らは「ヤコブのちり」と呼ばれ、神様がアブラハムと結ばれた契約のもと、祝福され増え広がった民なのです。その存在は、神様の力と誠実さを証明するものでした。そしてバラム自身はイスラエルの祝福された民の一員となりたいと願ったのです。そこには、モアブ王のバラクが期待した呪いのことばは一切語られませんでした。
ここで注目すべき点は、バラムが神様の主権を認め、バラクの要望に従わなかったことです。そもそもは、バラムがお金に目がくらんで、モアブ王のバラクの招へいを受けようとしたのが始まりでした。モアブ王のバラクは、イスラエルの民が近づいてくることに大きな恐れを抱いていました。だから、その脅威をかわすことです。そして、イスラエルの栄光を見て、自分らの未来を栄光に結び付けたいと願ったわけです。それで、モアブの王であるバラクは、「未来を書き換えたい」という思いがありました。そこでモアブ王バラクは、占い師バラムにイスラエルを呪わせようとしました。しかし、神様はそうはさせませんでした。
民数記『22:34 バラムは主の御使いに言った。「わたしの間違いでした。あなたがわたしの行く手に立ちふさがっておられるのをわたしは知らなかったのです。もしも、意に反するのでしたら、わたしは引き返します。」22:35 主の御使いはバラムに言った。「この人たちと共に行きなさい。しかし、ただわたしがあなたに告げることだけを告げなさい。」バラムはバラクの長たちと共に行った。』
有名なロバがバラムを救った場面です。こうして、主の御使いの警告を受けて、占い師バラムは、神様のみ言葉のみをモアブ王のバラクに告げることとなったのです。つまり、占い師バラムは、このとき預言者として用いられていました。