断食(だんじき) 宗教的な動機で一定の期間、食事を断つこと。旧約の時代からすでに実践され(申 9:18)、新約の時代に及んでいる(使 13:2,3)。イエスも宣教を開始するにあたり、40日間の断食を荒れ野でなさった(マタ 4:2)。罪をくやむ行為としては、断食のほかに、粗布(あらぬの)をまとったり(詩 35:13)、頭に灰をかぶったりした(エス 4:1)。使徒言行録27:9にある「断食日」は「贖罪日」と同じ日であると思われます。この日はティシュリの月の10日(太陽暦の10月ごろ)で、大祭司はこの日に至聖所に入り、全国民が罪のざんげのために断食をする定めになっていました。
1.断食についての問答
ヨハネの弟子とは、バプテスマのヨハネの弟子です。マタイによる福音書では、イエス様とヨハネの弟子が連絡を取り合っているのが、他の福音書にはない特徴です。この平行記事でも、声をかける人とかける相手が、微妙に違います。
マタイ9:14 バプテスマのヨハネの弟子がイエス様に マルコ2:18 ファリサイ派の人々がイエス様に
ルカ5:30 ファリサイ派の人々や他の律法学者がイエス様の弟子に
マタイでは、やはりバプテスマのヨハネとは「近い関係」があっての質問だと考えてよいのではないでしょうか? 聞いている内容は一緒です。イエス様の弟子が断食しない理由を聞くと、 イエス様は、弟子たちと一緒にいられなくなる日が来ることを預言して、その時に弟子たちは断食をするようになると説明しました。そして新しい服に新調していないのに つまり、新しい信仰の段階に入っていないのに、今の姿を新しい布で繕っても、破れるとおっしゃったのです。そして、新しいお酒 すなわち信仰が持てたら、新しい革袋で無いと長く持たせることが出来ないとおっしゃいました。 断食をして祈る。そういう段階が必ず来るが、今はそのまねごとをさせるのも、まだ早いとイエス様は言われたのです。
3.指導者の娘とイエスの服に触れる女
指導者は、その娘が死んだけれども、イエス様が来れば、助かる。そう信じていました。その信仰が娘を生き返らせることが出来るのでしょうか。そして、イエス様の服の房を触れると、治るのではないかと思って、畏れながらも実行した娘がいました。彼女の病気は治りました。その娘の信仰が、癒しの奇跡(しるし)を起こした。そのことをイエス様は娘に言います。
イエス様は、指導者の娘に対しては、眠っているだけと言われましたが、服の房を触れた娘の出来事で時間がとられて、指導者の家にすぐ着くことが出来ませんでした。指導者の家についてみると、笛を吹くものや、騒いでいる群衆が居ました。娘が死んだと報告があってから時間がたってしまっていたので、体をきよめ終わって、葬式が始まろうとしていたのでしょう。イエス様は、群衆を家の中から出して、少女の手をとられました。そのとき、指導者の祈りが聞かれたのでした。
他の福音書と比べ淡白な表現ですが、かえってそのために、マタイの言いたいことが良く伝わってくるように思えます。どちらの物語も「信仰」が病気を癒し、そして命が保たれたのです。福音書を通して、このテーマで何度も「しるし」が行われます。