1.五千人の食事
イエス様は、舟から上がると、多くの群衆と出会いました。そして彼らが羊飼いのいない羊のようなので深くあわれみ、いろいろと教え始めました。そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエス様のところに来て言います。
『ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。6:36 人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。』すると、彼らに答えて
『「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」』
そこで弟子たちは言った。『わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか』
弟子たちは、食事を提供することが、無理だとすぐに悟りました。1デナリは一人の一日分の労働賃金なので、200デナリは8ヵ月分の労働賃金に値します。そんなお金を持ち合わせていません、と弟子たちは言います。 すると、イエス様は言いました。
『パンは幾つあるのか。見て来なさい。』弟子たちは答えます。『五つあります。それに魚が二匹です。』
イエス様は、弟子たちに、自分たちの無力さを碓認させました。そして、奇跡を行うわけです。 イエス様は、みなを青草の上にすわらせるよう、弟子たちに命じました。 するとイエス様は、5つのパンと2匹の魚を取り、天を見上げて祝福を求め、パンを裂き、人々に配るように弟子たちに与えます。そしてまた、二匹の魚もみなに分けました。 イエス様は、ユダヤ人の食前の祝福をした後、奇跡を行います。
『6:42 すべての人が食べて満腹した。』
パンと魚は増えたのです。そして、パン屑を12のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めました。
男が5千人ですから、女と子どもを合わせたら1万人ぐらいいたのではないでしょうか。しかし、ここには「驚いた。」という反応が記されていません。弟子たちは、この奇蹟を不思議だとは思わずにみていたとうかがわれます。
2.イエス様のしるし
弟子たちは、イエス様のみわざを間近で見る特権がありました。それなのに、それらを奇跡と認める事なく、このお方を まぼろしのように見ていたのです。これは、身近にいる弟子ならば、起ここりえる問題です。奇跡をいつも当たり前のように見ていて、目の前の問題ばかりに気がとられているのです。 そこに、もうひとつの弟子たちの姿があります。 目先のことばかりに心が奪われてしまった弟子たちの姿です。 時がだいぶ経ってきたので、彼らは食事の心配をし始めます。 周りを見渡しても、これだけの群衆の食事を賄えるだけの手当ては見当たりません。 自分たちの手配や、持ち物を考えて、弟子たちはイエス様に進言します。
『ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。6:36 人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」』
この言葉の中には、救いを求めてイエス様を追いかけてきた群衆への配慮がありません。 そして、この群衆を憐み、必要に心から応えたいと、この場に臨んでいるイエス様の姿勢も目に入っていません。 だから弟子たちは、解散させようと 進言したのです。 しかし、イエス様は、
『6:37~あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい』
と答えます。 イエス様は、弟子たちに、持っているものを確かめさせました。
『パンは幾つあるのか。見て来なさい。』
と言います。 今あるものを確かめさせたイエス様は、その明らかに足りないにもかからわず 天を仰いで、賛美の祈りを唱え祝福したのです。 そして、イエス様自ら分け与えるのではなく、弟子たちを用いて配らせました。
この弟子たちの奉仕によって、群衆のすべてが満腹しました。 だれひとり足りないということではなかったのです。 イエス様は、明らかに わずかなもの 足りない物を祝福して、すべての人を満たしました。 このイエス様の 奇跡の力を忘れてはなりません。 イエス様は『パンは幾つあるのか。見て来なさい。』と言いました。 弟子たちは、明らかに足りるはずがない 僅かなパンと魚を確かめました。 イエス様は、その現実を知りながら、それを祝福し賛美したのです。 この僅かなパンと魚が、イエス様の奇跡です。 私たちが持っているものは、足りないことはありません。 ただ、私たちが、イエス様にすべてを差し出すことが足りないのです。 そこに、イエス様の祈りと賛美と祝福があって、奇跡は起こるのです。