1.御使いの証言
『28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。』
この二人のマリアが墓を見に来ています。二人は、イエス様が十字架につけられているのを見ました。(27章56節)また二人は、イエス様が墓に葬られるのを見ました。(61節)弟子たちは、とっくの昔に逃げ去っています。けれども、彼女たちは、イエス様のそばについて来ていて、日曜の朝早くには墓を見に来ました。なぜでしょうか。それは、イエス様のそばにいることに、彼女たちは生きる価値を持っていたからでしょう。弟子たちはそれぞれ、自分の職業を持っていました。ペテロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブは漁師、マタイは取税人、シモンは熱心党と言う名の体制の変更を求める政治団体に加入していました。だから、イエス様につまずいた結果、別の生き方を選びかけたのです。しかし、彼女たちは違いました。二人は、イエス様のそばにいること以外を、考えていなかったのです。結果として、彼女たちがイエス様の復活の最初の証人となりました。
『28:2 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。』
イエス様の復活を、天使が証言しています。大きな地震が起こりましたが、それは天使によるものでした。天使は、石をわきに転がしました。人間が何人がかりでやっとできることを、彼はいとも簡単にできるのです。そして、石の上に座りました。これも普通ではありません。転がした後固定していないまま座るのは危険だからです。
『28:3 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。』
天使は、神様の力だけではなく、神様の栄光も示しています。稲妻は神様の力を、白い衣は神様の栄光を現すからです。
『28:4 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。』
聖書を読むと、多くの人が似たような反応をしています。 それは、主の栄光がそのような圧倒的な力をもつからです。
2.イエス様のみわざ
『28:5 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、28:6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。』
天使は、二人のマリアを励まします。イエス様のみ業を伝えます。十字架につけられて死んだこと、次に、イエス様がここにいないことを伝えます。天使は、「かねて言われていたように」と言います。イエス様のみことばどおりに、復活したイエス様がおられます。その言葉を正しく受け止めたときに、私たちは復活のイエス様にお会いするのです。
また、「かねて言われていたように」というのは、イエス様のみことばが、死をも滅ぼす力を持っていることを示しています。イエス様の言った事は、成し遂げられたのです。
『28:7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」』
天使は、彼女たちのしなければならない使命を伝えます。弟子たちに、イエス様の復活を知らせることです。また、弟子たちがガリラヤに行って、イエス様に会うことです。
3.イエス様が現れる
『28:8 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。28:9 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。』
彼女たちも天使の姿を見て、恐れていました。しかし、天使のことばを聞いて、喜びました。死んだイエス様がよみがえったとの天使の言葉を信じたのです。天使の次に、イエス様ご自身が復活の証しをします。「おはよう」と訳されているギリシャ語は、「言う(レゴー):λέγω」です。同意するとか、挨拶するといったニュアンスも含みます。イエス様は、頷いたのでしょうか?彼女らの恐れを、今、完全に取り除いたのです。 彼女たちは、イエス様を拝みました。近寄って足を抱きます。彼女たちは、ただイエス様との再会を喜びました。イエス様のそばにいたかったからです。ここで大事なのは、イエス様のよみがえりを知った彼女らは、復活のイエス様を礼拝したということです。
『28:10 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」』
イエス様は、御使いが託したことばを、ご自分でもかけます。また、彼女たちを励ましたのです。