『1:7 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。』
ローマの信徒への手紙の挨拶文は、明らかにローマの信徒に向けています。しかし、16章を読むと混乱してきます。この16章だけは、パウロが書いたのでは無いとする人もいるその原因は、挨拶を送る相手が26人という多さです。一説によると、16章はパウロが写しを送った時に、その送り先に「よろしく」と書き足して送ったということです。
ケンクレアイはコリントの東側の地域(ローマに紹介したいとのことなので、姉妹フェベに手紙を託したのかもしれません)。プリスカとアキラは、ローマから帰ってきてコリント経由でエフェソでパウロと共に働いた夫婦。そしてアジア州。挨拶したい相手のいる場所がわかるのは、これらだけです。コリントとエフェソはパウロとの関係が深いですから、ローマへ送った手紙の写しを送ることもあり得るわけです。また、16章部分を欠く写本が存在することから、本来は15章までのものとの考えも補強されますが、決定的とは言えません。
もう一つの考えは、この26名は、パウロが「ローマに行きたい」と公言しながら、エフェソやコリントでもぞもぞしている間に、すでにローマで活動を開始していた と言うことです。実際、プリスカとアキラは、クラウディウス帝からの「ローマからのユダヤ人の追放令」のために、コリントに来ていたわけですから、ローマにもどるチャンスがあったのかもしれません。(もともと、このようなことはしばしばあった=徹底して追放したわけではない) そう考えると、もともとローマにいた人がクラウディウスの追放令のためにパウロと出会う機会があって、パウロがもたもたしている間に、みんなローマに帰ってしまったと想像しても良いのかもしれません。
また、よろしくと言っているのが、ガイオ(コリント)、ヤソン(テサロニケ)やティモテですから、コリントからエフェソまでの道中で書き足されたのかもしれません。(もちろん、コリントにみんながいたことも考えられます)
『16:17 兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。16:18 こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。』
パウロは、ローマでもユダヤ人と異邦人の間に問題があることを知っていたのだと思われます。それは、異邦人にユダヤ人の習慣を押し付けるものでした。キリストがもたらした新しい教えではなく、従来のユダヤ民族が持っていた文化を キリスト教に持ち込もうとするわけです。ですから、キリストを信じる信仰と言う意味では、信仰が弱い人たち(ユダヤ人の一部)が異邦人の信徒を混乱させ、困らせていたのです。パウロは、ローマへの手紙の中でいろいろ書いては来ましたが、そういう、新しい信仰を受け入れていないだけではなく、「不和やつまづき」までももたらす一部のユダヤ人を遠ざけるように勧めます。ただし、ユダヤ人への伝道も、同胞の救いを求めるパウロにとっては、大事でありました。
『16:19 あなたがたの従順は皆に知られています。だから、わたしはあなたがたのことを喜んでいます。なおその上、善にさとく、悪には疎くあることを望みます。16:20 平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。』
最後に、キリストに従順なローマの信徒に向けて、祝福の言葉を送ります。この祝福の中にもローマの教会がサタンに蝕まれ、平和ではなかったことが推察できます。そして、このローマの信徒への手紙が、ローマの教会に送った、問題解決の手引きとなることをパウロは望んでいたことでしょう。同じ問題は、どの教会でもありました。そして、エルサレムの使徒たちは一度パウロの考えに同意しながらも、別の立場をとりました。パウロは、このあとエルサレムに上りますから、エルサレムにいる使徒たちを説得して、それを手土産にローマに乗り込もうとしていたのでしょう。まもまくサタンは打ち砕かれると、信じたのです。