1.故郷にて
『6:1 イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。』
イエス様は、会堂長ヤイロの家から出て、ナザレに帰ってきます。ヤイロの娘は、イエス様によって生き返りました。イエス様は、数々のしるしを示しましたが、死者の復活までも成し遂げていたのです。
『6:2 安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。』
ナザレの人々は、イエス様の教えや知恵、そして力ある業に驚いています。同じような状況が、カファルナウムでもありました。
マルコ『1:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。1:22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。1:23 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。~1:27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」』
ナザレでも人々が驚きました。ナザレでは、「この人」という言葉をくり返しています。カファルナウムの人々は、「新しい教えだ。」と、教えについて驚いているのに対し、ナザレの人々は、このイエスという人の変わりように驚いています。
『6:3 この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。』
彼らが驚いた「この人」とは、彼らが30年もともに生活をしてきた「記憶の中のイエス」でした。彼らは、イエス様のことを「大工」として見ています。そして、「マリアの子」と呼びました。 ヨセフの子ではなく、マリアの子と呼ばれているのは、ヨセフがすでに死んでしまったことが考えられます。そして、イエスの兄弟の4名を挙げて、姉妹たちのことも言及しています。このありふれた人間でしかないはずのイエス様が、教えを広めたり、知恵に満たされていて、力あるわざをしていたので、驚いていたのです。
『6:4 イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。』
イエス様は、ご自身を「預言者」と呼びましたが、預言者とは、その言葉のとおり神様のみことばを預かった者であります。その教えを受け入れる者は、神様を知ることができます。けれども、みことばではなくて、その預言者自身を見る者は、普通の人間を見ているのと変わりがないのです。その結果は、深刻でした。
『6:5 そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。6:6 そして、人々の不信仰に驚かれた。』
2.使徒の権威
『6:7 そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、6:8 旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、6:9 ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。』
イエス様は、働きを12弟子に委ねます。弟子たちは、今からはイエス様と同じ働きをします。 それができるのは、イエスが彼らに与える「権威」によるのです。そして、宣教は身軽で行きなさい、という命令でした。自分で必要な物を携えるのではなく、主の備えにだけにより頼む伝道に派遣したのです。杖一本だけで、サンダルは履くように。そして替えの下着を持っていかない。本当に着の身着のまま出るようにとの命令でした。それには、次のような理由があります。
『6:10 また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。』
当時の中東では、旅人をもてなす習慣がありました。ですから、弟子たちはその家の人々が与えてくれるもので、生きていくことができたのです。
『6:11 しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」6:12 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。』
ユダヤ人は、異邦人が多く住んでいる土地からイスラエルの土地に戻るときに、足の裏のちりを払い落としました。彼らは、異邦人の土地のちりでさえもイスラエルの地に持って行くのを拒んだのです。弟子たちが足の裏のちりを払い落とすのは、「私たちには、責任がない」ことを示すものです。信仰のないところでは、しるしも行えないからです。
『6:12 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。6:13 そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。』
「悔い改めを説き」ました。そして、「悪霊を追い出し」ています。オリーブ「油を塗る」のは、癒しの象徴です。結局、ナザレ以外の村々は、悔い改めて信仰を示したということでした。