1.乱暴な宮清め
イエス様の過激な行動を理解するためには、当時のエルサレム神殿を知る必要があります。当時の神殿の外側にすごく広い「異邦人の庭」がありました。その内側に壁があって「婦人の庭」、さらにその奥に「イスラエルの庭」がありました。いけにえを献げるのは、その一番奥のイスラエルの庭にある「祭壇」です。異邦人はいけにえを献げても、その礼拝に参加することはできません。異邦人の庭から、垣間見ることしかできなかったのです。しかも、そこは、「鳩を売る者」や牛や羊を売る者たちが座り (ヨハネ2:14)、両替商もいて、とても礼拝できるような環境ではありませんでした。
イエス様が宮清めをした時も、同じく、婦人や外国人や子供たちが、礼拝の場から排除されていました。ユダヤ人男子以外は、このような商売人の店先でしか神様を礼拝できないことに、心を痛められたに違いありません。そこは「祈りの家」とはとても呼べません。
ただ、神殿での商売は合理的なものでした。一般に通用していた硬貨には、ローマ皇帝の肖像が刻まれており、「いかなる像も刻んではならない」と命令された神様の神殿で献金に用いることはできません。そのため両替して献金する必要がありました。また、神殿で売られた動物は、傷のないいけにえでした。もし遠くから、動物を連れてくるとしても、怪我をしてしまえばいけにえにはできません。そんなことを考えると、神殿にそのような「商人」がいることが必要だったのです。しかし、その商人の働きを許可するのは祭司階層であり、そこから多額の収益を得ていました。神殿税(マタイ17:24)は、年に一人当たり2ドラクメ(ドラクメはギリシャの通貨でローマのデナリと同じ価値)です。(神殿税:デ・ドラクマ δίδραχμα→そもそも2ドラクメという言葉が、神殿税を指します) ユダヤの市民は、ローマ帝国への税金(十分の一税)のほかに神殿に税金を献げるように命じられています。それらはすべて基本的に祭司やレビ人のものとされました。それは本来、彼らに嗣業の地が与えられなかったことへの代償でした。
しかし、当時の祭司たちは、その特権を使って、さらに利益を得ていたわけです。イエス様による「宮清め」は当時の、祭司たちに対する激しい非難でもあったのです。
2.わたしの家は祈りの家
『21:13 そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」』
これは、イザヤ書の引用です。
イザヤ『56:7 わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き/わたしの祈りの家の喜びの祝いに/連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら/わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』
ここで彼らとは、「安息日を守り、それを汚すことのない人/悪事に手をつけないように自戒する人」をさし、宦官であってもそれを許すと言う趣旨です。つまり、すべての敬虔なものは、そこで静かに礼拝を守り、祈ることが約束されているわけです。つまり、当時のイスラエルの民から軽蔑されていた人々をも招き入れる礼拝の場として、イエス様は宮を清めたのです。
実はかなり以前から、神殿を巡って、「不正が行われ」ていた現実がありました。しかし、それが反省されることもなく、神殿での不正にとどまらず、異国の神々を礼拝していました。それを見たイエス様 は、「強盗の巣」と呼びました。
このように、異邦人のために開放されていた礼拝の場所は、露天商の商売の場となっていたのです。当時のエルサレムには、神様を恐れる多くの異邦人が集まって来ていましたが、彼らは当時のユダヤ人から、二流の信仰者と見られていたので、そのまま放置していたのです。
3.幼子たちの賛美
イエス様の宮清めは、神殿の秩序を真っ向から否定する冒涜と受けとめられ、多くの人々を敵に回しました。しかしこれによって、新しい展開が起こりました。
『21:14 境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。』
当時、「目の見えない人」や「足の不自由な人」は神様に呪われた者と見られ、神殿に居場所がありませんでした。しかし、神殿の外庭から商人が追い出された時、彼らはイエス様に近づくことができたのです。彼らは、イエス様に近づきたいと思っても、いつもイエス様の周りに人々がいて近づけなかったのです。
ここで宗教指導者たちが見た、そして腹を立てたのが、「イエス様の癒し」と「宮の中で子どもたちが『ダビデの子にホサナ』と叫んでいる」ということでした。それは、神様を礼拝する場で、祭司たちを介さずに行われた癒しであり、また、イエス様がほめ称えられていることです。そして、宗教指導者たちは特に、子どもの賛美を問題にして、こう聞きました。
『21:16 イエスに言った。「子供たちが何と言っているか、聞こえるか。」』
これは明らかに、抗議の気持ちを込めています。イエス様は詩編を引用して答えました。
『8:3 幼子、乳飲み子の口によって。あなた(主)は刃向かう者に向かって砦を築き/報復する敵を絶ち滅ぼされます。
刃向う者、報復する敵とは、宗教指導者のことです。幼子の賛美によって彼らが、滅びようとしているのです。