ヨシュア記1章は、「主の僕モーセの死後」という書き出しで、申命記34章5節から直接的につながっています。また、この事実は、ヨシュア記が様々な点で五書の続編であることを示しています。そして、ヨシュアは神様から、「主の僕モーセ」の従者と呼ばれ、モーセの後継者と見なされています。「僕」とは所有物や道具と同格と見なされます。本人の意思が尊重されないからです。「僕」に求められていることは、主の意志を、主から命じられた通りの方法で行うことです。モーセはまた、預言者として主と特別な関係を持っていました。ヨシュアが、そのモーセの従者であるということは、間接的に神様の言葉や行いに立ち会ってきた存在でありました。そして、ヨシュアもモーセと同じように、「主の僕」(ヨシュア24:29)とも呼ばれています。
1.ヨシュアとは?
ヨシュアとは、「民数記」や「ヨシュア記」に登場するユダヤの指導者。現代のヘブライ語では、このヨシュアとイエス様は、同じ名前で表記されます。イエス様の名前は、現代ヘブライ語新約聖書では、「ヨシュア記」の「ヨシュア」と同じ人名を当てています。どちらも、元の意味は「ヤハウェは救い」です。
『1:2 「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。』
ヨシュアが主から求められたのは、「ヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい」という命令を実行することです。
それはヨシュアへの命令でしたが、主の民とされているイスラエルのすべての民が、「行きなさい」という命令に、信仰を持って従うことでもあります。イスラエルは神様の教会、神様の共同体としてこの神様の言葉を信じ、その命令に聞き従うことによって、イスラエルを全地の民に知らしめるのです。そして、主はアブラハムに約束されたことを(創世記12:1-3)ヨシュアによって完成させるのです。
ヨシュアがこのことを示されたのは、ヨルダン川からさほど遠くないところです。ヨルダン川は海面下400メートル近くまでの谷底を流れ、その急傾斜のために激流なので、分岐する支流もありません。そのV字型の地形から、川のほとりには一つの村落もありません。このヨルダン川の渡河と、その先での土地の征服は、ヨシュアと主の民に大きな課題のままでした。
しかし、初めから語られているのは、ヤハウエ自らが民に土地を「与えようとしている」ということです。それが
『1:3 モーセに告げたとおり、わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。』
このように、完了形で「与える」と明瞭になります。それは、もはや否定しようのない完全な事実として、既に主が民に土地を「与えた」ということを示しているのです。民のなすべきことは、「あなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える」、と言った主の約束する地に、信仰を持って「足」を踏み入れることです。
『1:4 荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる。』
ここに、イスラエルの民が足を踏み入れるべき地の三つの境界線が示されています。荒れ野(南方)、北東のユーフラテス川、西方の海までです。一方で、レバノン山は境界線となるべき印ではなく、約束の地に属しています。また、「ヘト人の全地」という記述があり、そのイスラエルが取得すべき土地が広大な領域であることを示しています。このように記述された土地はダビデ及びソロモンの王国時代の領土に対応しています(列王上5:1,4、歴代下9:26)。
2.強く、雄々しく
『 1:5 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。』
この言葉は、主がモーセと共におられたように、今やヨシュアと共におられることを示しています。ヨシュアは、先祖たちに与えられた約束の完成者となり、民に嗣業を得させるのです。かつて、主から約束を聞いたアブラハムにとって信じ従うことのみが必要であったように(創世記12章1-4節)、「強く、雄々しく」常に立つことが、ヨシュアの義務となりました。ヨシュアに求められたのは、すべてを成し遂げてくださる主の約束に対して信仰を持って応答することです。
「強く、雄々しく」という呼びかけは、この章で四回繰り返されています。この呼びかけがこの章を理解する重要な鍵です。「強く、雄々しく」あることは、本来、モーセによって既に着手していた道をヨシュアが引き継ぎ、モーセが担ったことをヨシュアがしっかり守る、その姿勢を示していました。しかし、後代には、「律法をすべて忠実に守る」という解釈が加えられることになりました。7節後半は、そういう解釈が含まれています。
『1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。』
モーセの言葉は、「律法の書」に忠実であることに置き換えられています。この服従を通して、神様の意思に直接従う信仰の姿勢が表されています。