1.服に触れる女
『5:21 イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。』
ガリラヤ湖対岸のゲラサから、イエス様がカファルナウムに戻ってきました。舟が岸に着くと早速、イエス様は群衆に囲まれます。そこに、ヤイロがやってきました。彼は会堂長と呼ばれています。当然ながら町の人々から高い尊敬を集めていました。そのヤイロがやってきたのは、娘が重篤であり、今にも死にそうな状態にあったからです。その娘さんは12歳という若さでした。大事な娘が大変な状況なので、イエス様のいやしを覚えていたヤイロは、娘を助けてほしいとイエスに頼み込みます。
イエス様がヤイロの家に行く途中で、もう一つの出来事がありました。そこには、12年もの間、出血が止まらない女性がいました。それは、ユダヤ人女性にとっては健康面と、社会面で、深刻でした。特に社会面では、血の流出がある女性は、宗教的な意味で「汚れている」と見なされてしまうからです。ですから、12年間長血を患った女性は、単に病気で苦しめられるだけでなく、人々に近づいてはいけない、状態にずっと置かれていたことになります。つまり、社会生活が送れない状態に置かれていたのです。さらには、神様を礼拝するために会堂に行くこともできませんでした。ですから、この女性は「病を癒してください」と会堂に行って祈ることもできないし、だれかに一緒に祈ってもらうこともできませんでした。
そこでこの女性は医者に、治療をしてもらいますが、治療費に全財産をつぎ込んでもよくなりませんでした。万策尽きて、財産も失い、疲れ果てた女性ですが、イエス様の噂を聞いて「治りたい」と願いました。しかし、自分は汚れた人間なので、会わせてもらえないだろう、と思って、隠れてイエス様を見に行きました。イエス様の回りには人だかりができていて、話しかけることはとてもできそうにありません。そこで、何とかイエス様に触れようと考えました。その人に触るだけで治るかもしれない、と思ったのです。まさに、藁をもすがる思いだったのでしょう。そして、イエス様の服の房に手を伸ばして、こっそりと触れました。
すると、彼女は病が直ったことを感じました。これは驚くべきことでした。イエス様が気が付かないうちに、力が出て人を癒したのです。しかし、イエス様の方にも自分の中から力が出て行った、という感覚はあったので、誰が自分の服に触ったのかを探そうとします。癒された女は、イエス様の許しも得ずに、汚れた身でイエス様に触ったということを咎められる、と恐ろしくなりました。しかし、隠しきれないと思って、洗いざらい本当のことを話しました。するとイエス様は、『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。』と言葉をかけます。
イエス様が行った癒しの業は、私たちの願いや信頼なしに、一方的に働くものではありません。ゲラサでは、信仰が薄いところなので、あまり癒しをすることができませんでした。しかし、カファルナウムに戻って早速、強い信仰をもった女性が、イエス様の意思によらずに癒しに与りました。そして、この女性の中に神への強い信仰があるのを見て、彼女を励まして、帰らせたのでした。
2.ヤイロの娘
なんと、この女性と話している間に、ヤイロの娘が亡くなったという一報が入りました。イエス様と一緒に家に向かっていたヤイロは、言葉を失ったことでしょう。今、イエス様の癒しの業を見ました。自分がもう少し早くイエス様を連れ帰っていば、娘は助かったかもしれないのに・・・、という悔いがあったでしょう。しかし、イエス様は、そのヤイロに言いました。『恐れることはない。ただ信じなさい』。ヤイロは、今まさに癒された女の強い信仰を見ました。イエス様は、ヤイロにもそのような強い神様への信頼を求めたのです。イエス様は、神様はたった今と同じようにヤイロの娘も癒してくださるだろうと信じ、ヤイロの家に向かいました。
それからイエス様は、自分が信頼する三人の弟子シモン・ペテロとゼベダイの子ヤコブとヨハネの三人を選び、ヤイロと合わせて五人だけで彼の家に向かいます。そしてヤイロの家に着くと、家の者や親類たちが大声で泣いている場面となります。イエス様は彼らに、『なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。』と言いました。すると、人々はイエス様のことをあざ笑いました。そこでイエス様は、ヤイロとその妻、そしてイエス様の三人の弟子たちを引き連れて娘のところに向かいます。イエス様が連れて行ったのは、心から娘が生き返ることを望み、また心からイエス様を通して働く神様の力に信頼する人たちでした。彼らの祈りをもイエス様は取り込んで、少女に命じました。『タリタ、クム』(起きなさい)と。すると、本当に少女は起き上がりました。
起き上がるだけではなく、歩いたのです。人々は、驚きました。ヤイロもその妻も、三人の弟子たちも驚いたのでしょう。おそらくイエス様ご自身も、深い感慨を持ったと思います。病を癒すことと、死んだ人をよみがえらせるということとは、次元が違います。イエス様も、そのような力を与えられた神様に深く感謝したことでしょう。