2024年11月 24日 主日礼拝
『真理とは』
聖書 ヨハネによる福音書18:33-40
今日から一週間。世界祈祷週間です。女性会のアピールもありましたので、私からは意義についてだけお話をします。(世界祈祷週間は、アメリカ人女性の宣教師ロティ・ムーンが、中国に赴任したことから始まります。1873年ロティが33の時でした。アメリカの南部バプテスト連盟がこの派遣を支えていたのですが、資金不足となって、一時帰国後に再赴任ができないという事態になります。彼女だけではなく、ほかの宣教師たちも、同じように足止めされたのです。そこで、女性たちが中心になって献金を募り、宣教師の再派遣を可能にしました。こうして、宣教師の派遣を支える活動が始まるわけです。)日本では、1931年に世界祈祷週間が始まりました。この活動が、日本バプテスト連盟が国外に宣教師を派遣するための、精神的な基盤、経済的な基盤となっているわけです。ですから、女性会の活動ではありますが、日本バプテスト連盟全体で取り組みます。現状を申し上げますと、資金が不足ぎみとなってその影響が出ています。すでに、カンボジアの嶋田和幸・薫宣教師との契約を解消し、来年度はシンガポールの野口日宇満・佳奈宣教師が契約解消となる予定です。また、ルワンダのミッションボランティアとしての佐々木和之氏の派遣支援も終わる見通しです。これは、全ての宣教師を引き上げるということではありません。海外伝道の在り方を見直し中なのであります。ですから、祈りに覚えてほしいと思います。たぶん、来年の2月の総会以降に提案されると思いますので、2026年度くらいから、新しい姿が目に見えてくるのだろうと思います。それと、現在派遣されている方々は、その召命から継続する見込みですので、私たちも支えていきたいと願っています。ですから、この経堂教会の取り組みとしては、例年通りです。教会の献金目標額は決めませんので、それぞれで判断頂きたいと思います。また、女性会にお願いですが、嶋田宣教師夫妻への支援も配慮いただければと思います。
さて、今年度は、ヨハネによる福音書を毎月取り上げてきました。今日は、来週アドベントを迎えることに合わせて「真理とはなにか?」をお話しします。
「真理とはなにか?」、これは、総督ピラトの言葉です。これは、イエス様が「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。」と言ったときのピラトのつぶやきです。「真理」と言う言葉が、ピラトに刺さったのではないか? と思われます。
そもそもピラトは、どういう人でしょうか? 実は、ユダヤ人との間で、トラブルが多かったので、評判が悪い人物です。代表的な事件を挙げると、エルサレムに皇帝の像を設置したいピラトでしたが、ユダヤ人はそれを許しません。そこでピラトは、ローマ皇帝の名がついた金きらきんの盾を総督邸の前に飾りました。これは、明らかに皇帝と言う偶像を拝みなさいとの意図であります。このときユダヤ人は、ローマ皇帝のテベリウスに訴えて、やめさせました。そして、もう一つ大顰蹙を買ったのは、神殿の財宝をエルサレムの水道工事に流用したことです。この時も大騒ぎになったうえ、大きな事故も起きました。そういうユダヤ人への対応に悩まされていたので、ピラトは警戒していました。
ところで、イエス様を引き渡しとき、ユダヤ人たちはピラトにイエス様の死刑を求めました。当時、ユダヤ人が運営する最高法院には、ユダヤ人を裁く権限があります。しかし、死刑の判決だけは、ローマの総督の権限です。ですから、死刑を求められている以上、ピラト自身が裁かなければなりません。たびたびユダヤ人との間に問題をおこしていたピラトは、また騒動を起こしたら、総督を首にされるかもしれません。そういう意味で、ピラトはユダヤ人側の言い分をよく聞いて、ユダヤ人が納得する決定を下す必要がありました。
『18:33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。』
ピラトのこの質問「お前がユダヤ人の王なのか」は、最初に聞く質問として唐突すぎます。ピラトは、イエス様のことを知っていたか、訴状に書かれていたのでしょう。ユダヤ人の訴えは「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていること(ルカ23:2)」でした。ピラトの尋問は、「わが民族を惑わした」ことでも「皇帝に税を納めるのを禁じた」ことでもありませんでした。たぶん、そんなことで死刑にはできないからなのでしょう。そして、問題はユダヤ人の王です。ローマへの反逆に結び付くなら、死刑もあり得ます。一方で、「ユダヤ人の王」と呼ばれただけでは、反逆ではありません。ピラトはそこを踏まえたうえで、尋問します。「お前がユダヤ人の王なのか」と・・・。
ユダヤ教の指導者たちが最もきらったことは、イエス様が神様と等しく見られていることでした。しかし、それを訴えてもローマの法には触れません。そこでユダヤ人たちは、「イエスは自分のことをユダヤ人の王だと言ってローマ帝国に反逆を企てている」と訴えたのです。ですから、「お前がユダヤ人の王なのか」との質問は、直接YESと答えては危ないのです。イエス様は、答えずに逆に聞き返しました。
『18:34~「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」』
イエス様は、「ピラトの個人的な問いなのか?、事務的な罪状の確認なのか?」を聞いたわけです。イエス様がこの世的なユダの王でないことは誰でもわかっています。だから、ピラトの個人的な問いであるならば、信仰的な意味で、ユダヤ人の王とは、あなたなのか? との尋問だったわけです。
『18:35~いったい何をしたのか。』・・これが、ピラトの次の言葉です。それに対してイエス様は、答えます。
『「18:36~わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。』
ここでイエス様は、「この世とは違う別の世界にわたしの国がある」と言います。イエス様はその国の支配者で、そこから来たのだと言うわけです。ピラトは、この答えを聞いて、最初の尋問に戻ります。
『18:37~それでは、やはり王なのか?~』・・・
ピラトはイエス様の答えた、この世には属さない国を支配しているならば、それは王だろうということで、最初の尋問に戻りました。ピラトは、やはりイエス様からこのことを聞きたかったのです。実は、こんな記事があります。
マタイ『27:19 一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」』
この伝言から見ると、ピラトの妻はイエス様のグループに近い人だったようです。だから、ピラトもイエス様の言葉に興味があったのかもしれません。そこでイエス様は、ピラトの尋問に答え、そしてこの世に来た目的を告げます。
『わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。』 なんと、イエス様は、「わたしの声を聞きなさい」とピラトに向けて伝道したのです。
『18:38~真理とは何か。』とピラトは言いました。ピラトは、一人つぶやいたのです。そして、尋問は終わります。「この人に死罪にあたる罪がない」との確信を持った。それが、ピラトの結論です。そしてピラトはイエス様を助けようとします。これも事実です。そして、ピラトの妻は、イエス様を正しい人と信じている。ピラトのつぶやきは、イエス様の「私の声を聞きなさい」とのことばに、「この人が真理なのか?」つまり、「イエスは神なのか?」とつぶやいた・・私はそう思うのです。
ここで真理(アレセイア:ἀλήθεια)と訳されている言葉は、「真実、本当のこと」という意味です。本当の事を見分けるには、目の前に見せれば明らかです。しかし、目の前に見ることができないもの、たとえば今の時点で姿形が見えない場合は、何かの証拠をもってこなければ、本当だとは認められません。イエス様は目に見えない国「わたしの国」について話しました。その国からこの世に来た目的は、真理を証しするためです。つまり、イエス様は天の国の存在や真理を証明できると言っているわけです。イエス様ご自身が証拠であり、イエス様ご自身が真理だからこそこのように言えるのです。
イエス・キリストは、天の国から降った神の御子です。イエス様には、すべての権威が与えられています。その事を明らかにするために、イエス様は教え、そして奇跡(しるし)を示しました。そしてついには、ご自身が十字架で死に、三日目によみがえります。イエス様は、死に打ち勝ったのです。これら福音書に記されている「しるし」は、イエス・キリストがこの世の者ではないこと、神様ご自身であることの証しなのです。
イエス・キリストの言葉を「聞いて、信じる人」となってください。聖書は、イエス様の言葉としるしを体験した人々が、信仰の証しとして書いたものです。あの悪評高いピラトさえも、イエス様は「私の声を聞きなさい」と伝道して、救おうとました。イエス様は、すべての人を救うのです。その恵みに与っていることに感謝し、イエス様を信じイエス様に身をゆだねてまいりましょう。