1.使徒パウロの宣教
パウロの時代には、偽教師たちが都市や村を巡回していました。しばしば彼らは、神や神々から遣わされた者であると自称します。しかし、多くの場合、彼らの意図は、神からのメッセージを伝えることではなく、たやすく信じ込んでしまいがちな聴衆から金銭をむしりとることだったのです。彼ら偽教師たちは尊敬を要求し、人々の犠牲の上に生活していました。ですから、パウロも同じように見られていたのでしょう。
キリスト教に反対するテサロニケの住民たちは、パウロもまた金目当て、と非難したにちがいありません。この非難は使徒パウロ自身の耳にも届きました。このことを心に留めた上で、パウロはテサロニケでの自らの活動のことを振り返ります。テサロニケにおけるパウロの活動は無駄ではありませんでした。テサロニケ教会が存続していること自体がその証拠です。パウロはひどい目にあった(使徒16章)フィリピを出てテサロニケに着きました。しかし、そうした苦難にもかかわらず、パウロは宣教旅行を中断しませんでした。
『2:2 ~わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。』
この言葉は、激しい迫害の只中にテサロニケ教会が誕生したことを物語っています。
『2:5 あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証ししてくださいます。』
パウロはテサロニケで受けた誹謗中傷に対する弁明を始めます。パウロの目的は人々を騙すことでも、聴衆から私益を得ようとしているのでもありませんでした。活ける神様がパウロのことを使徒として福音を宣べ伝える使命を与えたことを、パウロは確信しています。そして、テサロニケに神様が教会を立てたのです。
『2:8 わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。』
パウロはテサロニケ教会のために自らの命を与えたいと願うほどまでこの教会を愛していました。使徒パウロは自身をまるごと教会に捧げたのです。パウロの職業は天幕造りでした。おそらく彼はこの職業をテサロニケでも続けていたと思われます。彼は昼間は働いて生活費を稼ぎ、夜には都市の住民たちに十字架につけられたイエス様について宣べ伝えました。
2.聴衆の反応
パウロの教えを聴いた人々のうちの多くの者は、パウロのことを神様から遣わされた使徒であると思いました。パウロは神様の御言葉を宣べ伝えている、と彼らは信じたからです。神様御自身が、パウロの宣べ伝えたメッセージを通して、彼らにこの確信を与えてくださったのです。
3.キリスト信仰者の苦境
テサロニケにおいても、パウロは迫害を受けました。おそらく迫害はその後も続いたはずです。そして、その標的はテサロニケにある教会と信徒であったと思われます。迫害は、パウロが伝道した教会だけではなく、すべての教会に共通するものでした。このことは教会同士の結束を強めました。地方の諸教会は「同じ道」つまり共通の信仰を告白しました。そして、この信仰のゆえに同じ犠牲を強いられていました。
とりわけパウロは、キリストを無視するユダヤ人たちのことを「キリスト信仰者の反対者」としています。彼らは彼らで父祖たちと「同じ道」をたどったのです。ユダヤ人は旧約の預言者たちを殺しました。今度はその子孫たちが、キリストを殺してキリスト信仰者たちを迫害しているのです。パウロは他の誰よりもこのことを体験しました。テサロニケで彼の身に起こったことは、教会が宣べ伝える福音に対する大多数のユダヤ人の態度を物語っています。使徒パウロはこれらユダヤ人たちを全人類の敵であるとさえみなしています。イエス様とその十字架についての福音を邪魔し、人々の信仰を妨げようとしたからです。 だからと言って、パウロは「ユダヤ人たちのことを憎むべきである」、と教えているのではありません。私たちキリスト信仰者は、彼らユダヤ人がキリストを救い主として信じるようになるために、祈り続けるべきなのです。