1.信徒へのお勧め
『4:2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。』
この節でパウロは、フィリピの教会の二人の女性に意見の違いを解決するように勧めています。パウロはどちらにつくこともせず、解決のために指示もしませんでした。それでも他の信徒の祈りや、聖霊の働きかけによって、彼女らがへりくだって神様と和解したのではないでしょうか?そして、パウロは、「真実の協力者」にお願いしています。協力者とは、「スジュゴス:σύζυγος」を訳したものですが、同じくびきを負う者の意味をもちます。つまりクリスチャンです。
『4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。』
私たちが何かについて祈り願う前からすでに神様はすべてをご存じです(マタイ6:3)。そうだとしたら、なぜ私たちは祈る必要があるのでしょうか?。祈りは決して一方通行的なものではないからです。祈りは私たちから神様への語りかけです。一方で、神様から私たちへの語りかけでもあります。祈りは神様に考え直しをしてもらうためにあるのではなく、むしろ神様を見上げて喜ぶ、そのように祈る本人を変える働きなのです。
『4:8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。』
キリスト者は、この世的なものを切り捨てるのではなく、この世に生きる友とこの世的な価値も心に留めて、共に愛し合って生きることも必要なのです。
2.贈り物への感謝
『4:10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。』
パウロは、フィリピを出たときから、フィリピの信徒から経済的支援を受けていました。(4:15)それが、一時途切れて、再開したことをこの箇所は示しています。
『4:12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。4:13 わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。4:14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。』
フィリピの信徒たちは、支援が途切れていた間のパウロの生活を心配したでしょう。ですから、パウロは、自分がどのような状況の中にあっても生きていく術を身につけていたと、フィリピの信徒へ伝えます。そして、フィリピの信徒たちがパウロと同じ苦しみを共にしてくれた結果送られた支援に感謝したわけです。
『4:18 わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。』
パウロは福音を宣べ伝える対価として報酬を受けませんでした。普段のパウロは、自分で生活資金を稼いでいました。ですから、フィリピの支援は、パウロにとって特別のことでありました。満ち足りて、香ばしい香りがして、神様も喜んでパウロのために受け取ってくださった とパウロは伝えます。
『4:19 わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。』
神様は、フィリピの信徒たちが捧げた供え物をそのまま受け入れました。キリスト・イエスによってフィリピの信徒たちは、パウロの必要を満たしました。同じように、神様は、フィリピの信徒たちの必要を、キリスト・イエスによって満たしてくださいます。