カナンの地に到着するまで40年も荒れ野をさまよったイスラエルは、いよいよ約束の地カナンを偵察します。神様の命令によって、12部族からその長を送り出すことになります。この偵察は、先住民との戦争を前提にしていますので、完全に軍事目的だと言ってよいでしょう。要するに、勝てそうか? 勝てるならば、どこを攻めるか?の作戦会議のためだと言ってよいでしょう。しかも、12部族の長を偵察に出すと言うことは、その後の決定に責任を持たせると言う趣旨だと言えます。
1.カナンの偵察
申命記『1:21 見よ、あなたの神、主はこの土地をあなたに与えられた。あなたの先祖の神、主が仰せになったとおり、上って行って取りなさい。恐れてはならない。おののいてはならない」と言うと、1:22 あなたたちはそろってわたしのもとに来て、「まず人を派遣し、その土地を探らせ、我々がどの道を上り、どの町に行くべきか報告させましょう」と言った。』
ここで読み取れるように、神様の命令は「この土地を取りなさい」でした。それに対してイスラエルが選んだのは、偵察でした。そもそも、神様の命令に従うことを拒んだ民の姿がそこには見えます。
『13:17 モーセは、彼らをカナンの土地の偵察に遣わすにあたってこう命じた。「ネゲブに上り、更に山を登って行き、13:18 その土地がどんな所か調べて来なさい。そこの住民が強いか弱いか、人数が多いか少ないか、13:19 彼らの住む土地が良いか悪いか、彼らの住む町がどんな様子か、天幕を張っているのか城壁があるのか、13:20 土地はどうか、肥えているかやせているか、木が茂っているか否かを。あなたたちは雄々しく行き、その土地の果物を取って来なさい。」~』
イスラエルの地形では、中心部に南北方向の山地が走っています。西は地中海沿岸になっており、なだらかな平野が広がっています。そして、山地の東は急激に死海やヨルダン川の低地になり、死海付近は世界一海抜の低い陸地です。カナンは、ネゲブというイスラエル南部にある砂漠から、山地が始まります。イスラエルの代表的な街となるヘブロン、ベツレヘム、エルサレムなどの町はみな、この先の山地にあります。 その山地に住む住民について調べなさいとモーセは言いました。彼らの土地を戦って奪うからです。そして土地が事実、乳と蜜の流れる地であるかどうか、つまり、家畜と畑に適した所なのかを見てきなさいと命じたのです。
2.対立する報告
『13:27 彼らはモーセに説明して言った。「わたしたちは、あなたが遣わされた地方に行って来ました。そこは乳と蜜の流れる所でした。これがそこの果物です。13:28 しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。13:29 ネゲブ地方にはアマレク人、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます。」』
二つの対立する報告を十二人は行いました。十人は、確かに乳と蜜の流れる地であるが、そこに住む住民は強いというものでした。山地に住むアナク人を始め、地中海の沿岸にもヨルダン川の低地にも先住民がいます。けれどもカレブ、そしてここには出てきませんがヨシュアも、これらの住民を打ち倒すことができる、占領ができると言いました。(13:30)
この二つの見方の違いはどこから出てきているのでしょうか?カレブとヨシュアは、「神様の約束してくださったものはすばらしい。」と、そのまま素直に受け入れました。そして、「神様が約束してくださったのだから、そこに敵がいても神様が責任を取ってくださる。」と神様への信頼を見せました。信仰によって前に踏み出しますが、それは自分たちの力で戦わなければいけないのではなく、神様がその力を自分たちに与えてくださる、と信じていたのです。 これは信仰にある者たちの姿です。神様の命令に従って、イエス・キリストを自分の主として心に受け入れます。それからの歩みについては、数々問題はあるだろうけれども、主がその問題を克服する力と知恵を授けてくださると信じて前に進もうとしたのです。 その一方で、他の部族の十人の長の意見は異なりました。確かに約束の地はすばらしいが、住民が力強いので入れない、というものでした。それは、すべて自分たちの実力で戦うことを前提としているのです。それが、彼らの大きな過ちでした。神様の命令に従うためには、自分たちの力で、自分たちの知恵で、十分達成できる確信があるとき・・・と思ったのです。 これが、神様の約束にある祝福を受けることのできる人とそうでない人の違いになります。神様の祝福を受けることのできる人は、ただ信仰によって受け入れます。そしてその信仰のゆえに、神様がその人の内で御霊によって働いてくださり、御霊の力で敵に打ち勝つことができるのです。