1.使徒会議をうけて
直前の記事で、使徒会議の結論が出ましたので、それをどうやってアンティオキアの教会に伝えるかを相談しました。アンティオキアで指摘された異邦人への割礼などについて、使徒たちの意向を明確に示さなければなりません。ですから、バルナバとパウロがその結果を報告するだけではなく、エルサレムの使徒側から中心的な人を派遣することになりました。また、手紙で説明が足りなければ、その場で補足することもできるからです。
その派遣者(ユダとシラス)に持たせた手紙にはこのような内容が書かれていました。
・エルサレムの教会から来た者が、(異邦人も割礼を受けるべきとの)使徒たちが指示していないことをアンティオキアで話して、騒がせ、動揺させた。
・使徒会議の結論を伝達する役割を、満場一致でユダとシラスに託した。
・「偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。」(つまり、割礼を強要しないことが伝えられました)
2.アンティオキアで手紙を受け取る
「彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ。」
アンティオキアの教会全員を集めて、この手紙を読んだ結果、このようにみな喜びました。
ユダヤ人のようにしなければいけないと言った人々は、もうそこにはいなかったのでしょう。しかし、これで全部解決したわけではありません。まだ、そのように考える人々がいなくなったわけではないからです。パウロとバルナバの「証」によって、異邦人伝道が進んでいることを喜びはしたものの、多くの人々が「もっと祝福されるためには割礼が必要だ」とまだそう考えているのです。特にエルサレムの教会はアンティオキアの教会とは違って、ユダヤ人を伝道対象としていて、異邦人は少なかったはずです。そういう見方をすると、異邦人が多数派のアンティオキアとは同じイエス様を信じる群れとはいっても、エルサレムの教会の文かは大きく異なっていると言えるでしょう。
ユダとシラスは、預言もできたと書かれています。アンティオキアにもそのような人がいましたが、ユダとシラスはしばらくアンティオキアで預言などをして、それからエルサレムに帰りました。パウロとバルナバは、そのままアンティオキアに残って福音を宣べ伝えます。エルサレムの使徒たちから異邦人伝道についてよい励ましを受けたので、いよいよ異邦人伝道を進めていたわけです。
3.第二回伝道旅行に出る
第一回伝道旅行と同様、キプロスに伝道に行こうと、パウロとバルナバが出発しようとします。しかし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて行くことにパウロは反対します。結果として、バルナバとパウロは別行動となり、パウロはキプロスに渡りませんでした。そして、シラスを同労者として選び、シリア州やキリキア州を回りました。
参考:マルコはパウロと一緒に第三回伝道旅行をしています。その時の聖書の記事には、マルコはバルナバのいとこと書かれています。(コロサイ4:10)(ほか:二テモテ4:11、フィレモン1:24、一ペトロ5:13)
そういう記事を見ると、マルコはパウロの良き協力者ようです。
一方でバルナバは、その後の記事はありません。伝承によるとキプロスで殉教します。