12人の弟子がきちんと書かれているのは、このほかにマタイ10:1-4 ルカ6:12-16です。
マタイ福音書:徴税人マタイ→マタイ
ルカ 福音書:徴税人マタイ→マタイ、タダイ→×、×→ヤコブの子ユダ
ヨハネ福音書:ゼベダイの子ヤコブ→ゼベダイの子たち、ヨハネ→イエスに愛された弟子
バルトロマイ→×、×→ナタナエル、徴税人マタイ→×、
アルファイの子ヤコブ→×、タダイ→×、×→イスカリオテでないユダ
1.12人を選ぶ
『3:13 イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。3:14 そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、3:15 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。』
イエス様が十二人を選ぶということは、そこから新しい働きが生まれるということです。12とは、神様の3と人の4を掛けた、完全数です。神様がイスラエルを選び、ヤコブの子や孫を十二部族として治めました。同じように、十二人の弟子たちによって、治めようとの意図が見えます。
彼ら弟子たちが自らを選んだのではなく、イエス様が選んで、この働きに召したということです。 そして「使徒」( ἀπόστολος)と呼ばれていますが、これは「遣わされた者」という意味です。三つのことをイエス様は、使徒の使命としました。一つは「そばに置く」ということです。イエス様と時間を過ごすということによって、彼らがイエス様を知るようになります。そして、次に遣わされて、宣教をすることです。そして三つ目に悪霊を追い出す権威を与えることです。
『3:16 こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。3:17 ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。3:18 アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、3:19 それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。』
ここに出て来る十二人は、実に人間味あふれる人々です。まず初めに、ペトロです。イエス様がこの名をつけました。「小さな石ころ」という意味です。イエス様は、ペトロがペトラ(岩)になると、予告し後に教会の中心人物となります。次に、ヤコブとヨハネですが、漁師ゼベダイの子です。ヤコブは、大ヤコブと言われ、ペトロ、ヨハネおよびイエス様の兄弟ヤコブと並ぶ、エルサレム教会の中心でした。しかし、真っ先に殉教(使徒 12 )してしまいます。一方で、ヨハネは最後まで生き残って長寿を全うしました。おもしろいことに、二人には「雷の子」というあだ名が与えられています。ヨハネもヤコブも短気で、野心的な人だったのでしょう。
そしてアンデレとフィリポですが、どちらも冷静で、理性的な人だと思われます。アンデレは、引き合わせる役まわりなのでしょうか?人をイエス様のところに連れて行きます。ペトロをイエス様のところに、給食の奇跡の時にパンと魚を持っている少年をイエス様のところに連れてきました。また、ギリシア人をイエス様のところに連れてきています。フィリポは、同じく五千人の給食で、「二百デナリとパンがあったとしても、足りません」とイエス様にきちんと計算して、報告するような人です。そして、バルトロマイですが、ヨハネによる福音書に出て来るナタナエルと同一人物ではないか?と言われています。彼はイエス様から、まことのイスラエル人と呼ばれたほどの人物でした。そしてマタイは徴税人です。トマスは、イエス様の復活を疑ったという疑い深さがあります。アルファイの子ヤコブは、小ヤコブと呼ばれますが、特に記録はありません。タダイは、他の福音書でユダと呼ばれています。イスカリオテのユダではない方のユダです。
そして熱心党(ゼーロータイ)のシモンがいます。ユダヤ教には、サドカイ派、ファリサイ派、そしてエッセネ派がありましたが、熱心党もありました。熱心党は、愛国心をもった過激な集まりでした。武力闘争によって、ユダヤ人の国を建てるという主張をしました。彼らが、AD66 年から始まるユダヤ戦争を主導した人たちです。それによって、AD70 年にエルサレムとその神殿の崩壊を招いてしまいました。その熱心党のシモンが、イエス様の弟子に転向したのです。興味深いのは、徴税人のマタイと熱心党のシモンが一緒に使徒に選ばれている事です。熱心党は支配者であるローマを敵視しています。一方で、徴税人はローマの手先なわけですから、シモンがイエス様の弟子になっていなかったら、徴税人マタイと一緒にいることなどなかったでしょう。
そして最後に、「イスカリオテのユダ」が選ばれます。彼は初めからイエスを信じていませんでした。彼は、お金の管理を任されていましたが、自分のために横領していました。しかし、外観上は何事もないように見せています。ですから、「裏切る者がいる」とイエス様が最後の晩餐の席で言ったとき、だれもイスカリオテのユダのことだと分かりませんでした。イエス様は、こんなにも様々な背景のある者たちを使徒に選んだということです。