1.ヨハネの処刑
ヘロデ・アンティパスが領主であった時のこの地方は、ローマ帝国の支配のもとにあり、そもそもがイドマヤ出のローマ兵であるヘロデ家によって統治されていました。人々はこのような状況を屈辱と思っており、民族的・宗教的自立を求めて、何度も反乱が企てられました。反乱のリーダーたちは人々の期待を集めましたが、いずれの反乱も失敗に終わっています。精神的なよりどころとなるはずのユダヤ教でさえも、特権階級化したサドカイ派、律法が神への敬虔の手段であるのに目的としてしまったファリサイ派、世俗から身を遠ざけ清めの完成だけを追及したエッセネ派などに別れていました。どの派も、ローマの支配への反発をうまく、受け止めることにはならなかったようです。
そこに現れたのが洗礼者(バプテスマの)ヨハネです。彼は、人々の心をとらえました。おびただしい数の人がヨハネのもとに、ヨルダン川で洗礼を受けたのです。このようなヨハネを、待ち望んでいた救い主と思った人がいたようです。しかし、彼自身は、「自分は救い主ではない」と言います。
このヨハネが再登場する6章14節では、すでに彼は死んでいます。話題に上がったのは、イエス様のことを「ヨハネの生まれ変わりだ」とする噂を恐れてのことです。直接的には、ヘロデ・アンティパスの命令で、ヨハネは殺されました。それは少女(サロメ)への約束を違えることを良しとしない、メンツが原因でした。なんと、サロメは、ヨハネの首を要求します。サロメは、母親の願いを聞いただけではありますが、極めて冷酷であります。そして、ヘロディアが抱いたヨハネへの殺意も、自分勝手なものであります。
『6:17 実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。6:18 ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。』
ここには、倫理的な問題があります。第一に、兄弟の妻を略奪?しているか、不倫かと言うことです。不倫については、律法に触れていることとなります。そして、見逃してはいけないのは、ヘロデの家は正当な王朝であるハスモン朝(マカバイの家系)ではなく、単なるイドマヤ生まれのローマ兵であることです。へロディアはハスモン朝の出なので、へロディアとの結婚は、正当な王家となるための布石であったわけです。そういうことから言うと、ヨハネがヘロデ・アンティパスをあからさまに批判するのは、正当な王家ではないヘロデの家による支配への反発との側面もあります。
ここで明らかに、ヘロデ・アンティパスは、ヨハネを殺した血の責任を感じています。サロメがヨハネの首を求めなければ、そのようなことは起こらなかったでしょう。しかし、ヘロデ・アンティパスが命令を下したのは確かなのです。まさか、サロメにヨハネの血の責任を負わせられるでしょうか? サロメが、言い訳するとしたら、母の指示をそのまま実行しただけと言うことでしょう。じゃあヘロディアがこの血の責任を負うべきか? 確かに、この事件を企てたのは、へロディアです。それも、直接自分の手を下さずに、ヨハネを殺したのですから、へロディアが悪いことは間違いありません。しかし、直接には何もしていないので、言い逃れをするでしょう。もっとも、直接首をはねたのは、兵隊ですが、領主の命令に従っただけだと言えるので、罰することはできないでしょう。言い訳が厳しいのは、ヘロデ・アンティパスです。命令を下したこと、その理由が、一度言ったことをひっくり返したくないとの 「見栄」であること。そもそも、「なんでもかなえる」などと言う不用意さ。そして、権力を強化するためには倫理も無視すること。このように、民のために生きるのではなく、自分の権力のために生きるその姿勢に問題があったと言えます。
加害者側の「犯人」探しは、ここまでとして、一般的にこういう時に被害者側を責められることが良くあります。ここでは、「ヨハネがそこまでヘロディアのことを批判したのが悪い。」と言うことでしょうか?加害者側を擁護するようなこういった意見は、被害者にとっては二次被害になります。加害者は、2回もヨハネを殺すことになるのです。それこそ、自分の罪を薄めようとの、責任転嫁でしかありません。
2.イエス様の十字架での死
マルコは、この場面と対比して、もうひとつの悲劇的な処刑を書き残しています。それはイエス・キリストの十字架です。イエス・キリストはまず、同胞であるはずのユダヤ人たちに捕らえられました。そして、「反逆者」としてローマの総督に訴えられます。なぜなら、ローマの植民地支配下にあったユダヤ人には、人を死刑にする権限がなかったからです。次に、イエス様は総督ピラトの尋問をうけます。ところが、ピラトにはイエス様を処刑する理由が見つかりません。その血の責任を取りたくないピラトは、それをユダヤ人に振りました。彼はユダヤ人たちの暴動を恐れたからです。そして、群衆の意見どおりに、イエス様を十字架で処刑することに決断してしまうのです。イエス様の弟子たちもまた、直接裏切りました。それは、イエス様を引き渡したユダだけではありません。一番弟子であることを自負するペトロでさえ、問詰められるとイエスなど知らないと誓ってしまうのです。ピラトは血の責任をとることなく、弟子たちは「従う」ことなく、神様の十字架の計画は、結末を迎えます。群衆の「十字架につけろ」との叫びは、サロメに似て無責任でありました。そしてピラトは、ヘロデ・アンティパス同様に、立場を守ろうとしただけ、この企みを止めることが出来ませんでした。