この記事を根拠に三人の博士(マタイの記事は占星術の学者)がイエスのもとにやってきたとされています。しかし、降誕について詳しく書かれているルカによる福音書には、この記事はなく、マタイがこの物語のある唯一の福音書となります。また、この箇所を見ると、博士が何人であったかは書かれていません。また、いつの出来事かも書かれていません。比較的初期の時代には、マタイによる福音書2章16節の2歳以下の男の子を殺すとのヘロデの命令に基づいて、誕生の2年後と思われていました。それが次第に、誕生後の13日目ということに至りました。つまり、東方の三博士がイエスに会った日が公現節(1月6日)の起源です。
1.占星術の学者たち
イエス様が生まれた後、この方にお会いするために、意外な人々がやって来ました。ユダヤ人でも何でもない人たちが、はるか東方からユダヤ人の王を拝みに来たのです。そして、当のユダヤ人たち、エルサレムの人たちがユダヤ人の王がうまれたことを多分知らなかったことになります。
『2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」』
イエスがお生まれになったのは、「ヘロデ王の時代」とあります。イエス様の誕生については、現在の定説では、紀元前3年で、ヘロデ大王は紀元前4年に死んでいます。ですから、マタイと定説はあいません。(ルカの皇帝アウグストの治世の時紀元前27~紀元14とは一致) ただ、ヘロデ王と書かれている人物が、厳密にはヘロデ・アンティパスであったならば、矛盾してはいないことになります。
ヘロデのところに東方からの学者たちが、「ユダヤ人の王を拝みにまいりました」と言ってきた時、ヘロデは、恐れ惑いました。当然といえば当然です。自分の家に赤ん坊がいないのに、そういわれたのでは、自分の地位が脅かされるからです。しかも、博士たちには、何の意図もありません。ユダヤ人の王ならば、ヘロデのところに行けば会えると思って訪ねてきたのですから、罰することも、追い出すこともできません。
2.救い主はどこに?生まれる
『2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。2:4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」』
東方からの博士たちは、ユダヤ人の王を礼拝するためエルサレムに来たのですが、ユダヤ人の王とはメシヤ、キリストであることは、ヘロデ本人が良く知っていました。そして、聖書によればどこから出て来るのか分かるはずだと思い、それをユダヤ人たちの学者たちに聞いたのです。「民の祭司長」とは、歴代誌によると神殿の礼拝で奉仕をする 24 の祭司の組の長たちのことです。そして学者とは、律法学者です。彼らの答えは、「ベツレヘム」でした。それが、ミカ書 5 章 2 節に書かれていました。
ベツレヘムは、ルツ記の舞台になりました。ボアズとルツの孫が、エッサイ。エッサイの子がダビデ王です。そして、ダビデの末裔に救い主が生まれることが預言されていました。
不思議なことには、ヘロデ大王以下、家臣たちも民の祭司長たちも、律法学者たちも、積極的に救い主を探そうとしていなかったことです。占星術の学者が来た時までも調べなかっただろうし、その後も特に行動を起こしていません。
3.ヘロデの陰謀
『2:7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。2:8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。』
「ひそかに呼び寄せ」とあります、ヘロデはユダヤの王を拝もうなどとは思ってもいません。いかにその幼子を見つけて、利用するか、殺すか。それだけです。占星術の学者たちに、ユダヤの王の捜索を任せることによって、相手に勘づかれることなく確実に捕まえることを考えたわけです。占星術の学者たちは、この時点でヘロデの陰謀には気づいていませんでしたが、夢で警告を受け、知ることになります。
そもそも、ヘロデ大王は跡継ぎを指名しては、次々と殺した人です。地位を奪われるのを恐れたからです。それは、ヘロデ大王がイドマヤ(エサウの子孫のエドム人の地方)出身で、ユダヤ人ではなく、またローマの手先としての功績でユダヤの王になっているだけで、ハスモン朝の家来なのに家を乗っ取った田舎者です。つまり、ユダヤの王である根拠はほぼ、皇帝アウグストへの忠誠と、元老院に送っている賄賂でしかなかったので、極めて地位が危なっかしかったのです。その関係で、多くの子供たちとその従者たちを殺してしまうほど、地位への執着と猜疑心が強かったのだと思われます。