ルカ21:5-6

祈りで支える

2022年 130日 協力伝道週間 主日礼拝     

 「祈りで支える

聖書 ルカ21:5-6

おはようございます。今日はルカによる福音書から、み言葉を取り次ぎます。また、今週から1週間は協力伝道週間です。週報に書きましたように、全国で祈りを合わせるために祈りの課題が設定されていますから、皆さんもお祈りに加わってください。

さて、イエス様が地上で活躍されていたころ、エルサレムには壮大な神殿がありました。エルサレムの神殿は、ダビデ王の時にモーセの幕屋を持ってきたのが始まりです。また、その場所はアブラハムが神様に息子イサクをささげようとしたモリヤ山です。(創世記22:2)そこは、ダビデが神殿用に用意した土地で、息子のソロモン王が主の神殿、それまでの幕屋とは異なりレバノン杉で神殿を建てたのです。(歴代誌下3:1)そして、その神殿はバビロン捕囚の時に破壊されてしまいます。旧約聖書のエズラ記には、神殿を立て直す記事が載っていますように、エルサレム帰還後に、第二神殿がたちました。その第二神殿を改築したのがヘロデ大王です。ほぼ、第二神殿を総取り替えとしたようで、切り石で建てて壁に板をはった神殿から(エズラ5:8)大理石でできた神殿へと豪華に改装したようです。柱は、白雲(はくうん)石(せき)(ドロマイト大理石)、床は様々な石でかざり、壁や扉の要所要所を金の板金で飾られていたとの記録があります。(ユダヤ戦記Ⅴ303-314)このような豪華さですし、大きさも異邦人の庭を除いた中心部分の建物のサイズが、長さ220m幅120m高さ64mほどあるわけですから、かなりの存在感があると思われます。例えばアテネのパルテノン神殿の土台が長さ70m幅31mであるのと比べても、かなりの大きさであることがわかります。この大きくて豪華な神殿は、はかないもので紀元70年に完全に破壊されてしまいました。

今日の聖書の箇所では、イエス様がこの神殿が破壊される事について、予告をしているのです。神殿を破壊したのは、ローマ軍および領主であるアグリッパ(2世)です。もとは、ローマによる圧政と、虐殺に対してユダヤ人の過激派(ゼロデ党のシカリ派)が暴動を起こした事に始まり、ユダヤ全体が参加する形で、ユダヤ戦争が勃発したものです。この戦争は66年に始まり70年の神殿の崩壊で決着がつきました。そして、最後までマサダの要塞に立てこもった人々が全滅した73年に戦争が終結しています。その後ローマは治安維持のため、軍隊をエルサレムに常駐させます。しかし、それで落ち着いたわけではありませんでした。再び131年に第二次ユダヤ戦争が起き、ユダヤは破壊され尽くしました。そして、捕虜となったユダヤ人は、奴隷として売られたのです。また、エルサレムの町はなくなってしまい、ユダヤ人がエルサレムに入ることも禁止されました。こうして、ユダヤ人は全世界に離散してしまったのです。

 

このヘロデ大王の神殿を見て 石や奉納品の豪華さに驚いている人達に対して、イエス様は一言声を掛けます。まず、その神殿の価値について考えてみましょう。その人たちが見とれるくらい大きくて豪華です。しかし、そもそも神殿は豪華である必要はありません。神殿は豪華であることよりも、祈りの家であることが大事だからです。また、ヘロデ大王が人気取りのために豪華に作ったものであって、そのお金は自分の懐からではなく、民衆からとった税金から出ています。そのような、不純な目的と一方的な費用負担によって建てられた神殿ですから、まるで神様が政治利用されている象徴のようです。み言葉によって、民を導くのではなく、神様の権威を使って民を懐柔するようなやり方は、いつか破綻をすると考えてよいでしょう。歴史は、そのような道筋をたどったことを証明しています。「神殿の石は、一つも残らないようになる」とイエス様は予告しました。実際、今のエルサレムの神殿跡にはイスラム教の「岩のドーム」が建っていて、かつてのエルサレムの神殿の面影はありません。どんなに立派にそびえている立派な神殿であっても、人の作ったものは必ず壊れるときが来るのです。また、そればかりか、人の思いと知恵には、不純な動機が入り込みやすいのです。神様に祈って求めないと良い結果とはならないのです。神殿は、祈りの場であり、そして神様に感謝をささげる場であり、兄弟姉妹が交わる場所です。それなのに、ヘロデ大王はそういう場所として神殿を建て直したわけではありません。ヘロデ大王にとって神殿は、大金を捧げていることを見せる場所であり、国力を示す場所であり、祭司や律法学者を通して民衆を治めるための道具としての場所だったのです。

さて、このことと私たちの教会を比べたらどうでしょうか?私たちにとっての教会を考えますと、教会は祈りと交わりの場でありますので、兄弟姉妹と共に礼拝を守るために用いられています。そして、神様がイエス様を信じる者を集められましたから、神様が永遠に教会を存続させてくださいます。ヘロデ大王のように立派な建物を用意することは私たちにはできません。しかし、神様は、教会に必要なものを備えてくださいます。建物も、お金も、奉仕も、交わりの機会も全てが備えられているのです。私たちは、まずそれを備えてくださる神様に感謝の祈りをささげる必要があります。また、今から必要となることについて、神様に願って祈ることも必要です。そうして教会は、神様と私たちの祈りによって、支えられてきているのです。祈りによって、聖霊が私たちに働きかけててくださいますから、具体的な活動に力が与えられるのです。

 

さて、日本バプテスト連盟の協力伝道週間ですが、1996年の連盟総会にて、協力伝道を連盟全体で祈るために設定されました。それ以来、毎年この時期に協力伝道週間を持っています。この目的は大きく言って三つあります。まず、互いの教会を祈りで支えあうということです。2つ目が一教会では支えきれないような活動をするために、連盟全体から働き人を出すことです。そして、3つめがそのための経済的な支えとして、協力伝道献金をしてくださいということです。私どもの教会では、すでに予算通り協力伝道献金を捧げていますが、その協力伝道献金は、使い道が決まっています。主に、連盟事務所の職員19名の手当や活動のための事務所経費、それから各教会の伝道活動の支援に使われます。ほかに、連盟全体のための献金という意味では、「世界祈祷献金」「神学校献金」「教役者退職金教会拠出金」があります。これらは、主に国外宣教師派遣費、西南学院の神学生の奨学金、および牧師・主事の退職金として使われます。これらの献金を通して、私たちの教会も微力ながら、連盟の大きな活動の中に参加しているのです。週報に祈りのカレンダーを書いていますので、今週一週間祈りによる支えをお願いします。

1月30日(日):被災地支援・国内伝道

 被災地支援とは2011年の東日本大震災の津波被害に対して、また、その時 

の東京電力福島第一発電所事故に対する住民への支援です。国内伝道は、連

合や各教会の伝道活動に支援金を出しています。

1月31日(月):国外伝道・国際協力

 インドネシアに野口日宇満・野口佳奈宣教師を、カンボジアに嶋田和幸・

嶋田薫宣教師を派遣しています。また、ルワンダには国際ミッションボラン

ティアとして佐々木和幸氏を派遣しています。

2月1日(火):青少年・教会教育・教会音楽関係の諸活動

2月2日(水):宣教研究所

2月3日(木):伝道者養成・神学校

 神学校献金は、目標に達しませんが、西南学院に入る献身者が少ないため、

その分の献金が余っています。献身者が与えられるよう祈ってまいりま 

しょう。

2月4日(金):理事会・委員会・監事・総会役員会

委員会は、21ありますから、24もの組織があるということです。さらに、

理事会の下には、4つの会議体と連盟事務所があります。総会と合わせると

30もの組織になってしまっています。そういうわけで、機構改革に取り組

み始めたところです。

2月5日(土):協力伝道献金・教役者退職制度

2月6日(日):諸教会・伝道所 ・ 連盟事務所

 現在、約300ある教会伝道所のなかで、牧師が不在なのは、31教会6伝道所です。無牧師の教会のために祈ってください。そして、連盟事務所には19名の職員がいますが、機構改革で人が減る予定です。混乱と仕事の大幅な遅れが起こらないよう、お祈りください。

 

 ヘロデ大王が建て替えた神殿は、大きくて立派だというお話を先ほどしましたが、この連盟で築き上げてきた「人の作り上げた仕組み」も相当なものです。そして、今何故機構改革という話が出ているかと言いますと、収入に対する支出のバランスがとれていないからであります。過去に蓄えた預金がそろそろ底をつきそうなのです。また、それと同じように深刻なのは、総会です。報告事項が多すぎて、議案書を読み終えるだけでも相当苦労してしまいます。分厚い議案書は、審議の充実にとって害になるばかりです。そういうこともあって、連盟の将来ビジョンや教会間の協力などについて議論する時間は、ほとんどありません。このように、総会が機能低下していることに対しても改善しようと動き出しているところです。聞くところによると、理事会でも同じように議案が多すぎて、処理に困っているようです。目に見えて連盟の仕組みがまわらなくなってきていると思われます。やはり、人の作ったものはその時はよく見えても、常にあるべき姿にしていかなければ、崩れ落ちた神殿になりかねないのです。これらの課題は、みんなで祈って、良い道筋を求めていくことが大事だと思います。しかし一方で、これまで改革できなかったということも事実です。どこかにできない理由があるのだと思われます。私は、個人的にはこのように感じています。たとえば、連盟のリーダーが、中高年の男性牧師に偏りすぎていることです。理事や委員会どれをとっても、同じような世界に住んでいる人たちが中心に奉仕しています。私の理解では、このような体制では、前例主義に陥りかねないということです。とは言いながら、連盟事務所で奉仕する時間帯を考えるとウィークディの昼間に限定されます。この時間帯に連盟事務所にアクセスできるのは、牧師か経営者か無職の人などに限られます。また、理事についても、連盟事務所に常勤しているのは一人だけです。年に数回の理事会では、非常勤の理事には現状の把握で精いっぱいなはずです。そういう意味で、変わることができる環境ではなかったのだと思われます。他にもいろいろ原因はあったでしょう。そのなかで、大きな原因の一つは「祈り」だと思います。連盟の活動のために祈っていたのかと聞かれたら、私自身も確かに祈ってこなかったのかなと思いました。もしかして、そこが一番の原因だったのかもしれません。皆さんで連盟事務所に行ったことのある人は、どれだけいるでしょうか?たぶんあまりいないと思われます。それに、連盟によって支えられているという実感があまりないために、連盟について祈る機会がなかったのかなと思います。

 具体的に私たちが、日常的に連盟によって支えられていることを挙げてみましょう。宣教研究所は、牧師の教育とバプテスト連盟の教義について責任を持っていて、教職者への研修会を開催しています。また、神学校に対しては、連盟の予算から献金を送っており、先ほど話しました奨学金制度も運用しています。そういう意味で、教会での宣教は、連盟の支援があってこそ与れるのです。また「聖書教育」という本を定期発行することで、教会学校向けの「教案」を提供しています。また「新生讃美歌」を編集し、その普及に努めています。自前の讃美歌集を作るということは、連盟の教会に一体感を生むものであります。また、地方連合の活動にも連盟は支援をしていますので、バプテスト大会や研修会を連合で行う時にはお世話になっているものです。それから忘れてはいけないのは、私たちは今年の2回のコンサート費用を連盟に申請して、特別支援費20万円をいただきました。これによって、伝道活動に予算がつけられるようになったことも、感謝しなければなりません。その逆ですが、岩ケ谷兄弟は連盟の会計顧問を昨年度まで奉仕してくださいました。このように、連盟との関係は結構深いのです。ぜひ、連盟のために祈ってまいりましょう。そして、私たちはなによりも経堂教会のために祈らなければなりません。教会は祈りによって、維持され、成長するからです。今日は、感話会(教会学校)の試行をすることになっています。感話会の交わりのなかで、祈りの課題が見えてくることを期待しています。

教会のためにそして教会員のためにつながる人々のために祈る時としましょう。