使徒5:17-42

使徒たちに対する大迫害


イエス様の弟子たちが、相変わらず癒しの業で群衆に尊敬されていたため、祭司長たちは嫉んでいました。とはいえ、手荒なことはなかなかできません。しかし、がまんが出来なくなったのか、とうとう法的な根拠もなく使徒たちを牢屋に入れてしまいます。しかし、主の使いは使徒たちを牢屋から逃がした上で、『行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい』と告げます。

 

 

1.イエス様の名によって教える

 使徒たちは、ペトロとヨハネが一度最高法院で裁かれたときに、「イエス様の名によって

教えてはならない」と命じられました。ですから、使徒たちは捕まらないようにしてきたのです。しかし、天の使いは、使徒たちが最高法院で裁かれるために捕まると、使徒を牢屋から逃がします。また、このとき牢屋の番人はそのことに気が付きません。そうして、使徒たちは神殿の中で「イエス様の名によって教えた」のです。天の使いは、裁かれるならば、「イエス様の名によって教えた」事実に対して、使徒たちに正面から弁明をさせようとしたのでしょう。


 最高法院は使徒たちを呼びつけますが、牢屋には使徒たちはいません。そのときには、神殿中で教えていたのです。その使徒たちが最高法院で裁かれるわけですが、大祭司が『あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。』と言うように、捕まったあとに訴えられる口実を与えてしまっていました。


 しかし、使徒たちは『人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木につけて殺したイエスを復活させられました。・・・』と言うように、イエス様のことを証し するのです。


 こうして、最高法院でイエス様の証をする機会を得たわけです。群衆がいますので、祭司長たちは、使徒たちをどうすることもできません。結果として、ガマリエルと言う人の意見によって、使徒たちは解放されます。そして、それ以降は「イエス様の名によって教える」ことを禁止されているにもかかわらず、使徒たちは神殿の中で「イエス様の名によって教える」ことが可能となります。こうして、天使の働きによって、弟子たちは神殿の中で福音を延べ伝え続けることが出来たのです。

 

2.ガマリエルの提案

『民衆全体から尊敬されている律法の教師で、ファリサイ派に属するガマリエル』とありますが、この人は聖書の中でもう一回だけ、パウロの先生としてパウロの証の中に出てきます。(使徒22:3)


 ガマリエルの言ったことは、偽物ならば、放っておけば消えるということでした。過去にも人気をとった革命家や偽預言者が出ては消えていました。それは偽物だったからです。偽物ならば、時間がたてば消えるので分かります。しかし、今ここで使徒たちに手を出すとしたら、神様に背くことになりかねないのです。なぜならば、使徒たちが神様の意思で動かされている可能性を否定できないからです。 もし手を出してしまったら、祭司長たちはイエス様の処刑に続いて、また神様に対して罪を重ねる事になるかもしれません。しかし、解き放ったところで、この使徒たちが偽物ならば消えるだけです。そして、もし神様のご意志によるものならば、その御心に適う事だとのガマリエルの説得でした。これには、皆従うしかなかったのです。こうしてみると、ガマリエル自身も神様に使わされてその場所にいたのだと考えても違和感はないと思われます。