ルカ7:18-35

 ヨハネの問い

 

 『7:20 ~「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」』

 イエス様に洗礼を授けたバプテスマのヨハネは、ガラリア領主ヘロデによって投獄されていました。その理由を聖書には次のように書かれています。

ルカ『3:19 ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、3:20 ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。』

 ヨハネは、へロディアのことについて非難していました。へロディアは、ハスモン王朝の血を受けていて、ヘロデの兄弟の妻であります。ヘロデは、妻を離縁したうえでこのへロディアと結婚し(正当なユダ王であると主張したかったと思われます。)、ヨハネのそしりを受けていました。どちらかと言えばヘロディアが、ヨハネを殺そうと考えていましたが、ヘロデ自身は時々ヨハネを呼び出しては話をさせていました。そういう意味で比較的自由がある投獄だったようです。ここからヨハネは自分の弟子二人をイエス様のもとに使いに出します。

1.ヨハネの問い

 二人の弟子は、ヨハネの問いを次のように伝えます。「『きたるべきかた』はあなたなのですか?」

 「きたるべき方」とは、旧約聖書が預言していた救い主のことです。 ヨハネは、牢に閉じ込められ、直接イエス様に会って問うことが出来ないので、イエス様が本当に救い主なのか?と 弟子たちに尋ねさせたのでした。牢に閉じ込めれて不自由な上、ヘロディアが命を狙っています。ヨハネは救い主の先駆けとして働く役割を担っていましたが、イエス様が救い主でなければ、その役割は果たせないことになります。そう言う意味で心配だったのでしょう。聖書では、ヨハネはこのあと、首をはねられて殺されてしまいます。(歴史家ヨセフスによるとAD33年ころ。)そんなヨハネは、獄中でイエス様が病気の人を癒したり、死んでしまった人をよみがえらせたことを聞きました。

イエス様がそのような素晴らしい働きをしていることを知ることによって、ヨハネの心の中でかえって心配になってきたのでしょう。「救い主、メシアはユダヤの国を軍事的な力によってローマの支配から解放して下さる勝利の王である」という当時の人たちが抱いていたメシアのイメージがありました。イエス様は、活動を始めてから、そのような軍事活動をした気配すら感じられません。 実際に来られたイエス様は、すべての人を罪から救うために、苦難と十字架の道を歩まれるメシアでした。ですから、ヨハネ自身イエス様のことを ヨハネ『1:24見よ、世の罪を取り除く神の小羊』 と証していたその確信が揺らいだのであります。

 私たちは、聖書を通して、イエス様が私たちのために十字架にかかって死んで下さり、復活した救い主であるとことを知っています。もちろん、私たちは直接イエス様に会ったわけではなく、イエス様の話を伝え聞いているだけです。ヨハネも同じです。ヨハネは、少なくとも伝道を始められてからのイエス様には会っていません。おそらくイエス様につけたヨハネの弟子たちを通して、イエス様の働きぶりを伝え聞いただけです。そういう意味で獄中のヨハネと私たちには、どのように人々を救ってくれるのだろうか?それはいつなのだろうか? と言うもやもやした物があったのでしょう。「あなたはいつ私を救ってくれるのですか?」このような問いを私たちも抱くでしょう。このような、動揺が時にはあるのではないでしょうか。

2.さいわいへの招き

 イエス様は、ヨハネの問いに、『「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。7:23 わたしにつまずかない人は幸いである。」』

と答えます。これはイザヤ書35章5-6節や61章1節の 預言が成就している。つまりメシアはすでに来ていることを示しています。

 イエス様は、ヨハネの二人の弟子に、貧しい人、苦しみや悲しみ、弱さの中にいる人たちに、福音が告げ知らされていることをありのままにヨハネに報告しなさいと言いました。そして、「わたしにつまづかない者は、さいわいである。」と言われます。これは、同時に信じる者は「さいわいである」という祝福の言葉でもあります。イエス様は、群衆に向けてヨハネの役割を説明しました。そして、ヨハネからバプテスマを受けなかった律法学者たちを批判します。「笛を吹いたけれども踊らなかった」。律法学者たちはヨハネの悔い改めのバプテスマを拒否し、イエス様も受け入れませんでした。つまり、神様の御心を拒みました。踊らなかったのは律法学者たちなのに、その責任を転嫁していることにも気が付いていないのです。