使徒4:23-37

信者の祈り

   

1.信者の祈り


ペトロとヨハネが、一人の足の不自由な人を癒したことで、サンヒドリン(最高法院)で裁判を受けましたが、無事に帰ってきました。そして、起こったことすべてを仲間に話しました。これを聞いた人々は、神様を賛美します。聖霊によってペトロとヨハネが語ったことを確信してのことです。この時歌った歌がこの詩編です。

 詩編『2:1 なにゆえ、国々は騒ぎ立ち/人々はむなしく声をあげるのか。2:2 なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して/主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか』

 

これは、イエス様の十字架の出来事を預言した歌だったのです。実際に、ヘロデ・アンティパスとポンティオ・ピラトはローマ兵とイスラエルの群衆と一緒になって、イエス様に逆らいました。そして、神様のご計画通りのことが行われたのです。その時、信者たちは心を一緒にして祈りました。最高法院の脅しにも負けずに、イエス様の僕たちが大胆に宣教できるように、そしてイエス様の名によって癒しが行えること、しるしが行われることを祈りました。祈りが終わると、そこに聖霊が働かれたのでしょう、地震が起きます。そして、そこにいた皆が大胆にみ言葉を語りだしたのです。

 

 

2.持ち物を共有する

 

 『4:32 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。』

 この習慣は、ユダヤで一般的ではありません。バプテスマのヨハネがエッセネ派の流れを汲むと思われますが、そのエッセネ派に特徴的なのが、財産の没収でした。入会時に、自分の財産を群れの共有の財産にしていたのです。エルサレムの教会では、このような共同生活が営まれていたのです。たぶん、最後の晩餐に借りた家にみんなで住んだのでしょう。この地域はエッセネ派の居住区域でした。

 

 使徒たちは、主イエスの復活を証しすることに集中していて、エルサレムの人々からも好意を持たれていたようです。イエス様の復活について、多くの人が信じていたからだと思われます。あの、甦りを否定するサドカイ派ですら、手を出せなかったほど、多くの人々が使徒たちの話を聞いてくれたのだと思われます。

 そして、そもそもガリラヤの最下層の人々から集まってきたイエス様の弟子たちですが、一人も貧しくなかったとあります。だれもが、お金を持っていて必要なものを買えたたという事になります。そのやり方が、使徒たちのところに土地や家を売った人がお金を持って来て、使徒たちが平等に分配したという事です。(まだ、小さい群れの時にはそれでも成り立っていたのでしょう。献金をごまかす者や、外国人への分配がいきわたらない等、次第に分配で問題を起こすことになります。)

 

 使徒バルナバが財産を売ったことが、唐突にここに書かれています。使徒とは、12使徒のほかにパウロや、イエス様の命令に従って二人一組で伝道に赴いた70人を使徒と呼ぶことがあるようです。バルナバは、その一人です。注目したいのは、バルナバは福音書には一切登場しておらず、この使徒言行録の箇所が、バルナバ初登場となります。次に登場するときは、回心したパウロを連れてくると言う大役を果たします。余談ですが、バルナバはレビ族だという事ですから、本来は嗣業の地はありません。しかし、財産を持っていました。その収入は神殿への献金という事ですが、レビ族はその1/10を分配して生活していたようです。もちろん、このような事には必ず不正もありました。一例をネヘミヤ記から挙げます。

 

『13:7 エルサレムに帰り、エルヤシブがトビヤのために神殿の庭にある収納庫を流用して、そのために行った悪事を知った。13:8 わたしは非常に憤り、その祭司室からトビヤ家の器具類をすべて外に投げ出し、13:9 その祭司室を清め、そこに再び神殿の祭具と穀物の献げ物と香を納めることを命じた。13:10 またわたしは、レビ人に与えられるはずのものが与えられず、務めに就いていたレビ人と詠唱者が、それぞれ自分の耕地に逃げ帰っているのを知った。』