エズラ記1:1-11

エルサレムへの帰還

 

1.キュロス

 キュロスは紀元前559年にペルシャの王になりました。約20年後、キュロスはベルシャザルからバビロンを奪い、アケメネス朝ペルシャ帝国とします。そして、バビロンにおけるキュロスの最初の年は、預言された節目の年になりました。ダニエルは、キュロスに仕えることになりますが、エズラ書にはダニエルの働きについては触れられていません。しかしながら、ダニエル書によると、キュロスの前の王の時から、ユダヤの神はペルシャに認知されていました。


ダニエル『6:26 ダレイオス王は、全地に住む諸国、諸族、諸言語の人々に、次のように書き送った。「いっそうの繁栄を願って挨拶を送る。6:27 わたしは以下のとおりに定める。この王国全域において、すべての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない。この神は生ける神、世々にいまし/その主権は滅びることなく、その支配は永遠。6:28 この神は救い主、助け主。天にも地にも、不思議な御業を行い/ダニエルを獅子の力から救われた。」』


 エズラ記では、エレミヤによる神様の預言だけに言及しています。預言は成就しなければならないとの立場をとります。ですから、キュロスがユダヤの神を信じていたと言った考えは、ダニエル書や歴代誌下36:23によらないと出てこないと思われます。エレミヤの預言は、次の通りです。

エレミヤ『25:12 七十年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する、と主は言われる。そして、そこをとこしえに荒れ地とする。』

エレミヤ『29:10 主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。』


 キュロスは宗教に関しては寛容な姿勢を保ち、これはアケメネス朝の統治を通して守りました。その最たるものは、エルサレム神殿の再建命令です。それを裏付ける ほかの記事もあります。

歴代下『36:22 ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口を通して約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。36:23 「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、上って行くがよい。神なる主がその者と共にいてくださるように。」』

エズラ『5:13 しかし、バビロンの王キュロスはその治世の第一年に、この神殿の再建をお命じになった。5:14 また、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から取り出して、バビロンの神殿に持ち帰った金銀の祭具を、キュロス王はこのバビロンの神殿から取り出し、長官に任命したシェシュバツァルという名の人に託し、5:15 これらの祭具を携えてエルサレムの神殿に行き、そこに納め、神殿をかつてあった所に再建せよ、と言われた。』


この神殿再建は、進みませんでした。周辺の武力勢力の妨害があったからです。実際にネヘミヤやエズラが神殿を再建するまでには、多くの時間がかかり、キュロスの命令も忘れられていました。


2. エズラ

 エズラは、ユダヤ人社会の宗教と法の掟を統合し、後にユダヤ民族の信仰や生活の基準となるユダヤ教の土台を築いたと言われています。 バビロン捕囚後、バビロンはアケメネス朝ペルシャのキュロス王に占領されました。キュロス王は、紀元前538年にユダヤの捕囚民が故国に戻り国を再建することを許し、4万人が帰還しました。そして、エルサレムに神殿の再建に取り掛かります。その一方でバビロンに留まった捕囚民は、ペルシャの統治の元で繁栄し、重要な地位に昇るものもいました。最初の民が、エルサレムに帰還して約80年後の紀元前458年(ペルシア王アルタシャスタの治世第7年目)、ペルシャの高官であったエズラは王の許可を得てバビロンからエルサレムに赴きます。(「エズラ記」7:1、7:6、7:8、7:11-13)。このとき、王国内のユダヤ人は誰でも同行できたため、12氏族にわたるおよそ5000人の人々が集まり、イスラエルの再建に努めました。そして、紀元前446年にネヘミヤが総督としてエルサレムに派遣されます。ユダヤの地を治め、エルサレムの城壁を再建するなど、ユダヤ民族の復興のためです。そして、ユダヤ民族の復興を象徴するように、エズラは編纂を終えた律法(モーセ5書)を民に披露したのです。

ネヘミヤ『8:9 総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。』

3.祭具(神殿で使用中のほかに宝物庫に多くの金銀の祭具が・・・)

 列王下『25:13 カルデア人は主の神殿の青銅の柱、台車、主の神殿にあった青銅の「海」を砕いて、その青銅をバビロンへ運び去り、25:14 壺、十能、芯切り鋏、柄杓など、祭儀用の青銅の器をことごとく奪い取った。25:15 また親衛隊の長は、火皿、鉢など、金製品も銀製品もすべて奪い取った。25:16 ソロモンが主の神殿のために作らせた二本の柱、一つの「海」、台車についていえば、これらすべてのものの青銅の重量は量りきれなかった。25:17 一本の柱の高さは十八アンマで、その上に青銅の柱頭があり、その柱頭の高さが三アンマ、柱頭の周りには格子模様の浮き彫りとざくろがあって、このすべてが青銅であった。もう一本の柱も格子模様の浮き彫りまで同様に出来ていた。』.祭具(ほかに宝物庫に多くの金銀の祭具が・・・)

 列王下『25:13 カルデア人は主の神殿の青銅の柱、台車、主の神殿にあった青銅の「海」を砕いて、その青銅をバビロンへ運び去り、25:14 壺、十能、芯切り鋏、柄杓など、祭儀用の青銅の器をことごとく奪い取った。25:15 また親衛隊の長は、火皿、鉢など、金製品も銀製品もすべて奪い取った。25:16 ソロモンが主の神殿のために作らせた二本の柱、一つの「海」、台車についていえば、これらすべてのものの青銅の重量は量りきれなかった。25:17 一本の柱の高さは十八アンマで、その上に青銅の柱頭があり、その柱頭の高さが三アンマ、柱頭の周りには格子模様の浮き彫りとざくろがあって、このすべてが青銅であった。もう一本の柱も格子模様の浮き彫りまで同様に出来ていた。』