マタイ6:9-13

権威ある言葉 

1.重い皮膚病を患っている人をいやす

 イエス様が、ガリラヤの伝道を続けていると、一人の重い皮膚病を患った人が従ってきて、「私を清くしてください」とお願いします。最近、この病気も治療が可能になりましたが、当時は難病だったわけです。そして、その原因を「穢れ」として、また伝染することから、畏れられていました。

そして、穢れているかどうかの判断は、祭司がしていました。(レビ記13章)。そして、治ったときも祭司が清めるのです。

レビ記『14:1 主はモーセに仰せになった。14:2 以下は重い皮膚病を患った人が清めを受けるときの指示である。彼が祭司のもとに連れて来られると、14:3 祭司は宿営の外に出て来て、調べる。患者の重い皮膚病が治っているならば、14:4 祭司は清めの儀式をするため、その人に命じて、生きている清い鳥二羽と、杉の枝、緋糸、ヒソプの枝を用意させる。』

 当時は、原因も分からなければ、その伝染力の弱さも知られていませんでした。そして、一度穢れていると判定されると、隔離されたのです。そして、治ったからと言って社会に復帰することは許されなかったのです。祭司が見て判断をし、治ったときは清めの儀式をして、病人が清くなったことを証明するわけです。ここには、2つの癒しがありました。一つは病そのものからの癒しであり、もう一つは、社会への復帰による平安であります。イエス様は、ただ癒しただけではなかったのです。

2.百人隊長の僕を癒す

 カファルナウム(ガリラヤ湖北岸)には、ローマ兵が駐屯していました。百人隊長とは、名前の通り約100人(実際は80人)を指揮する、下級司令官です。

ローマ軍は当時6軍団グループがあり、そこに22軍団(レギオー)ありました。そして、レギオーには、だいたい10個の歩兵大隊(コルホス)があり、コルホスは6個の百人隊(ケントゥリア)で構成されます。10×6×80=4800人/レギオー 百人隊長は、兵隊の中から選挙で選ばれます。もちろんローマ市民という事です。戦争をする最小の単位は、2つの百人隊で、副官と小隊長(8人組)を使って指揮をとる立場です。いわば、百人隊長はその僕の命を預かっているわけですから、イエス様に癒しを懇願したのです。イエス様はすぐにその僕のところへ行こうとしましたが、当時はローマ軍とユダヤの民の間は険悪でしたから、僕のところにイエス様を連れて行くことは無理だったのでしょう。しかし、百人隊長は、イエス様に「ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」と言いました。権威のある者の言葉が、その通りに実現する。それは、百人隊長自身がこれまで体験してきたことです。そして、イエス様にその権威があることに気づき、そこに信頼したのです。百人隊長の僕たちは、日常この百人隊長の命令を聞いて、そしてその通りになっていくことを体験しています。また、百人隊長自身もレギオーの指揮官の指示通りに成就していくことを信じ、そして実際に実現をしてきているのです。権威があれば姿が見えなくても皆ついていくことができ、そしてその言葉通りになる。こう百人隊長は、証しをしたのです。イエス様を権威あるものと信じていたのでした。

 3.多くの病人を癒す 

 イエス様はペトロのしゅうとめをはじめ、大勢の病人を癒されました。引用されたイザヤ書は以下の通りです。このイザヤ書に書かれた「彼」こそが、イエス様なのです。

 イザヤ書『53:4 彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。53:5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。53:6 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。』