ネヘミヤ7:72-8:12

主を喜び祝う日

(参考)7:6~72は、ネヘミヤが発見した文書を写したものであり、帰還した捕囚の民の記録です。ネヘミヤは住民登録をしようとして、この文書を発見したわけですが、最初から民はそれぞれの一族の町に帰っており、各一族がそこに住むことの正当性が証明されました。イスラエルの各一族と同様に、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人なども自分たちの町に帰りました。そして、エルサレムの城壁を修復して、第七の月(新年)を迎えたときも、人々は自分の町に住んでいました。城壁が完成した時が6番目の月の25日目(ネヘミヤ6:15)ですから、5日で工事と防衛の要員を解いたことになります。

1.律法の披露

 書記官(祭司でもある)エズラは、新年にあたり水の門(この門の城外にギホンの泉がある)の前の広場に、人々を集めました。人々は、神様に授けられた律法の書を求めました。律法(トーラー)と言うとモーセ五書のことですが、夜明けから正午まで読み上げられるということは、全部を読んだのではないことがわかります。

・・・契約の書は、出エジプト記20:22-23:19を指しますが、トーラーに登場するテキストに後日学者によって名付けられたものです。8:5に「書」とあり、これを読んだわけですが、この原語はセファー。本やスクロール(パピルスの巻紙)を指す言葉です。また、出エジプト記24:7にもこのセファーが使われており、その箇所はまさに「契約の書」で契約を結ぶ場面です。・・・と言う理由から、契約の書を翻訳※しながら解説しながら読んだと思われます。

※(ネヘミヤのころは、BC400年代なので、アラム語(BC1000~AD600)に置き換わっていて、ヘブル語は使われていなかった)

 この契約の書は、過去にも失われていたものをヨシヤ王が、民に読み聞かせたものです。

王下『23:2 王は、ユダのすべての人々、エルサレムのすべての住民、祭司と預言者、下の者から上の者まで、すべての民と共に主の神殿に上り、主の神殿で見つかった契約の書のすべての言葉を彼らに読み聞かせた。』

ヨシヤが王だったのはBC640,641年なので、このころはまだヘブル語を使っていたようです。

 そもそも、第七の月の一日は、特別な日(新年)なので、安息日となっています。ですから、人々は礼拝のために集まっています。そして、城壁を復旧した直後ですから、バビロン捕囚の時から取り組んできた、律法の編纂の成果を披露して、イスラエル民族のアイデンテティを示したものと思われます。人々は、失われていた律法を初めて聞いて、そして解説をしてもらい、理解をしました。イスラエル民族の神を正しく知ることが出来たのです。


2.悲しんではならない

 「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」

 どうして、新年の礼拝で泣くのでしょうか? 「民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。」とありますので、感極まったと言うことでしょう。捕囚から帰還し、神殿も復旧、そしてエルサレムの城壁も修理が終わりました。そして、町にはまだ家がありません。すべてを失ったところから、生活を取り戻す。それを、今からと言うことになります。将来への希望は見えてきたとは思いますが、すべてを破壊しつくされた町に住み、町を守り、周辺の国からの侵略も防止していかなければなりません。食べる物の確保もままならない中、お祝いをできない人もいたのでしょう。

『「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」』

イスラエルの民は、食べる物を分け合って、神様の与えてくれたこの善き日を祝います。

 一方で、律法を知ったことは、イスラエルの民にとってはつらいこと、そして悲しいことでした。これまで異国の神々を礼拝してきています。そして、神様が与えて下さった律法を守ることもできていません。それどころか、律法は人々の記憶から無くなってしまっていたのです。それらは、一代の期間でなってしまったのではありません。代々、神様のことを忘れ、律法のことを無視し続けた結果です。しかし、イスラエルの民は、結果的に大いに祝い、喜びました。神様との関係も完全に元に戻ることを期待していたのです。そのためには、イエス様の誕生と十字架による贖いと、復活を待たなければなりません。