ルカ7:1-17

 百人隊長の僕をいやす

 

1.百人隊長の僕をいやす


 百人隊長とは、名前の通り100人の歩兵を率いる、下級司令官です。実際は80人くらいの編成で、だいたい副隊長と二人で、隊をまとめます。こういった百人隊は、最低でも2隊で行動しますから、少なくともカファルナウムには、160人以上の兵隊が駐留していたと思われます。部下が病気で死にかかっていたので、その百人隊長は、ユダヤ人の長老たちをイエス様のところに使いに出しました。なぜ、ユダヤ人の長老なのかですが、「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」と長老たちがイエス様に懇願したことから、ユダヤ人と良好な関係であるか、もしくはこの百人隊長自身がユダヤ教徒なのかもしれません。普通、駐留軍と言えば、地元といさかいがあるものですが、この百人隊長はユダヤ人に友好的であり、かつシナゴーグをプレゼントしたと思われます。

 ローマの軍隊は、土木工作が得意です。駐留地は、安全のため堀や塀で囲むなどの防御設備が出来てから、テントを張ります。また、当時の戦争は土木建築技術によって支えられていました。城壁を崩すために、トンネルを掘ったり、城攻めのために鉄板で囲ったやぐらを組んだりと、大規模な工事ができました。そういった、ローマ軍がユダヤ教のシナゴーグを建設することは 可能なことだと思われます。

 イエス様は、その百人隊長の家に向かいますが、百人隊長は友人をイエス様のところへ使いをやって、このように言わせました。

『「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」』


 この百人隊長は、ユダヤ人の長老が使いに出ればイエス様はやってくると信じ、この使いを出していたのです。しかし百人隊長は、イエス様の持つ権威から、直接来てもらうことも、自分が会いに行くことも畏れました。そして、ひとこと言ってくれれば部下は治ると信じ、イエス様にいやしてもらうように願いました。

 「イエス様が言ってくれたら、その通りになる」と、百人隊長は言います。なぜなら、百人隊長自身、ローマ軍のなかにあって権威を持っています。権威を持っている者の命令は絶対であり、その通りに必ずなると、百人隊長は疑いも持っていなかったのです。


 イエス様は、群衆の方に振り向いて、その一言を言います。

『「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」』


 イエス様の権威を畏れ、そしてイエス様の権威を信じた百人隊長ですが、イエス様に会ってもいないのにイエス様を信じています。また、部下が奇跡的に癒されたのを見てイエス様を信じたわけでもありません。その部下が癒されたのはその後です。百人隊長がイエス様を信じたから癒されたのであります。


2.やもめの息子を生き返らせる


 ナインと言う町はガリラヤ湖の南西の山(もう一つのmount moreh)の中にある町です。群衆も一緒であったというのも不可能ではありませんが、カファルナウムから直線で20kmほどありますので、日没も近い時間ではないかと思われます。ユダヤでは、葬式はその日のうちに済ませますから、日没前に全てを終わらせます。また、この地方の古い町は水の出る場所はそうそうないので、町は広がることはありません。時代と共に、古い家を崩したら、その上に家を建てていきます。そういうところは、丘(こうした丘はテルと呼ばれています)になっていきます。こういった町は、家々に囲まれたところに墓はありません。なぜならば、それだけの土地が無いのです。ですから、棺は門から離れた場所にある墓に運びます。やもめの一人息子が死んだのですから、やもめのこれからの生甲斐は・・・と、心配になってしまいます。

『7:13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。7:14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。』


 イエス様が棺に近づいて手を触れて、担いでいる人たちが立ち止まりました。担いでいる人たち全員がイエス様が手を触れるのを見ることはあり得ませんし、一人だけ急に立ち止まっては棺を落としそうになります。ですから、このとき棺の中で何かがあったと理解してよいと思われます。棺の中でその息子は動いたのでしょう。ですから、棺を担いでいた人たちは、同時に足を止めました。


 イエス様の命令によって、その息子は起き上がり物を言い出しました。すると、イエス様についてきた群衆ではなく、葬式に参列していた人々でしょう。このように反応しました。


『7:16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。』


 こうして、イエス様の知名度は上がりましたが、神の子としてではなく、「大預言者」としてでした。