創世記2:18-25

応え合う者として

 

1.矛盾ばかり

 神様は、造られたものを「極めて良かった(1:31)」としました。それが、ここで「人が独りでいるのは良くない(2:18)」と、第8の日以降に言い出したのでしょうか?。そして、「男と女に創造された。(1:27)」はずなのですが、ここで再度女を創造するわけです。矛盾がないように考えると、この創世記は時系列として順序良く並んでいなくて、第7の日まで、説明したあとに、第6の日の経緯を書いたのだと考えることもできます。また、もともとの伝承が複数存在していることから、あまり気にしなくても良いのかもしれません。しかし、人以外の生き物の雄、雌は、最初からあったならば、人も最初から男女に創造されるのが自然な考えであります。つまり、第6日目に神様は人を創造したあとに女を創造したということになります。ただ、やはり矛盾はあります。「男は父母を離れて」ということでは、アダムに父母がいることを指します。ある意味、ユダヤ民族の結婚観が現れています。ユダヤ人は結婚するとき、新しい家を用意し、父母の家を出るのだそうです。

 2.結婚

「結婚」「夫婦」のことを神様が告げます。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。(2:18)」「彼に合う助ける者」とは、パートナーということでしょう。神様は人の所に生き物を連れて来て、名前をつけさせました。人は、その生き物との出会いの中で、助けるものがいないことを知りました。そこで神様は人に深い眠りを与え、彼のあばら骨(リブではなく半身)から一人の女性を造り上げました。リブから造られたのではなく、半身をとったのです。女性は男性に支配される者又は男性を支配する者ではなく、対等のパートナーなのでしょう。神様は女を人の所に連れて来られ、人は歓喜して、名を付けます。

「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。(2:24)」

結婚において「離れること」と「結ばれること」が告げられています。親への依存から離れ、妻との相互依存の中に生きていきます。

「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。(2:25)」

 お互いに無防備な幸いが与えられていました。非難や攻撃がなかったのです。互いの存在と人格を敬うこと、違いを喜ぶことが、結婚のありたい姿と思います。


 3.パウロの教え

◆妻と夫

5:21 キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。

5:22 妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。

5:23 キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。

5:24 また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。

5:25 夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。5:26 キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、5:27 しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。

5:28 そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。5:29 わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。

5:30 わたしたちは、キリストの体の一部なのです。5:31 「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」5:32 この神秘は偉大です。わたしは、キリストと教会について述べているのです。

5:33 いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい。

 パウロは、この「夫と妻の関係」を「キリストと教会の関係」としています。神の御子イエス・キリストは、父なる神のもとを離れ、人としてこの地に来られ、私たちを愛し、罪とその裁きから救うために十字架で身代わりに死なれ、墓の中で眠られ、死の中から復活されました。主イエスは十字架上で脇腹を槍で刺され、そこから血と水が流れ出ましたが、教会は主イエスの血をもって罪の中から買い取られた結果、誕生しました。私たちはキリストと結ばれ一体となりました。教会はキリストのものであり、キリストのからだです。教会は不完全な部分を持っています。しかし、イエス様は決して私たちを見捨てず、仕え、忍耐し、養い、神の御前に聖く立たせて下さいます。私たちはその愛を知り、従順に従います。イエス様に従うことを嫌い、自分を中心に生きようとする自分を捨て、イエス様に従い、イエス様と一体とせられていく真の喜びに生きていきます。イエス様の愛と私たちの主への従順の中で教会は互いの愛で建て上げられていくのです。

4.男は父母を離れて

 この一文は、異質です。『2:24 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。』

24節と25節は、事実を伝えているのではありません。語り手が、補足しているのです。

つまり、「このエデンの園での出来事から、男は父母を離れて、女と結婚するようになった。そして、お互いに助け合って暮らします。天地が出来た6日目に、最初の結婚があって、延々とその習慣が引き継がれている」。このことを説明したわけです。人類最初の結婚は、神様が深く関与して、人の良き助け手となるために女が造られた。これは、結婚の意義を明らかにしたものであります。