ヘブライ12:3-13

 自分の足で

2022年 8月 14日 主日礼拝

自分の足で

聖書 ヘブライ人への手紙 12:3-13           

 ヘブライ人への手紙は、2世紀ごろ書かれたのですが、誰が書いたのか、誰に送ったのかもわかっていません。手掛かりとなるのは、記事の中にある情報です。この手紙の宛先は、キリスト教への改宗者たちでありまして、迫害されていることが読み取れます。彼らは、律法をすべて守る従来のユダヤ教に戻るのか、律法を捨ててキリスト教徒として続けるかの 選択を迫られていました。今日は、この箇所から、かつて日本が行ってきた、戦争、そして今も世界で続く侵略について、聖書が語っていることを、お話します。

 

 戦争は「何時ぐらい」から起こるようになったか?と言いますと、日本では弥生時代だそうです。三国志の魏志倭人伝によると、戦争(倭国大乱)があったことがわかります。そして、なぜ戦争が起こったのかとの問いに対しては、定説があります。稲作によって安定した食料の確保ができたためなのだそうです。狩猟を中心としていた縄文時代では、食料は獲物が主体なので、長い期間保管できません。そのため、取れただけ分け合って食べましたが、稲作が中心になると大量に作って蓄えることができますから、日常的に分け合う習慣は必要なくなりました。そして、今度はその蓄えを使って人を雇い、土地の開墾や水路の整備をするわけです。こうなると、蓄えを持っているものと、持っていないものの差が広がります。そして、水田や用水路の大規模開発に投資できる人が人々を支配するようになるわけです。大規模な稲作によって、食料が安定して手に入りますから、人口も増え、そして食料と交換で武器も手に入れるようになるわけです。こうして、豊かになり武力が整うと、争いが起こり始めます。そして、戦争をする理由は、大昔から今も変わりません。例えば、ローマは、隣町から隣町へと侵略戦争をしかけて、巨大なローマ帝国を作りました。当時、ローマ帝国が断トツに戦力を持っていましたから、わざわざ遠くの国まで侵略しなくてもよさそうに思えます。ところが、ローマには侵略戦争をしなければならない理由が、2つありました。一つは、「自国の安全のため」であります。そして、二つ目が「軍隊を維持するため」です。つまり、「隣の国がローマを襲ってこないように、隣の国をローマにしてしまう」のが目的であり、その侵略で略奪した財産で軍隊を養うのが、二次的な目的なわけです。ですから、ローマは「自国の平和のために戦争し続ける」という、矛盾をはらんだ国だったわけです。これは、ロシアによるウクライナ侵攻と同じ構図です。「自国の安全を保障するために、他国の勢力を遠くへ押しやろうとする」この考えは、やはり「わがまま」なのでしょう。弱小国の方が、「自国の安全」のために、強い国を攻めるでしょうか?そんなはずはないのです。つまり、相手が弱いことに付け込んでいるだけです。また、先の第二次世界大戦では、日本は太平洋地区で侵略戦争を仕掛けました。そのもともとの原因は、日本を脅威と考える諸外国による経済封鎖です。結果として、エネルギーを抑えられた日本は、暴走してしまいました。いま、ロシアや中国、そして北朝鮮に対して各国が経済制裁を行っていますが、経済制裁は、国民の生活を困らせるわけですから、直接傷つけることはなくても、武器だと言えます。ですから、経済制裁も行き過ぎるとかえって戦争を起こすきっかけとなりかねません。

 さて、キリスト教は、戦争に対してどういう立場をとってきたでしょうか?

最初期のキリスト教会では、「人を殺してはならない」と教えていました。(もちろん今も同じです。)しかし、ローマ軍にはクリスチャンが大勢いましたが、それでも戦争はやみませんでした。そして、4世紀には正戦(正しい戦いと書きます)という考えが定着します。ヒッポ(北アフリカ)の司教アウグスティヌスが、他国からの攻撃にあっている状況を考慮して妥協したのが、次の戦争容認論です。

「戦争は、国を守るためにそれ以外の方法がなく、復讐ではなく平和と正義の確立を意図した場合に限って正当と認められる」

これと同時に、「戦闘自体も正しい方法で遂行しなければならない」として、正戦(正しい戦争)の基準を作り始めました。

 これは、戦争することを追認したものです。一見、「本当にやむを得ないとき」と歯止めをかけているようには見えますが、イエス様が教えた非暴力とは、かけ離れた方向に向かっているといえます。そうしているうちに、「聖地エルサレム奪還のため」に、十字軍を派遣するようになるのです。教会が、戦争する理由を作り、資金を集め、軍隊を派遣したのです。「蟻の一穴」と言う言葉がありますが、一度、どのような形でも戦争を認めると、歯止めがかからなくなって、ついには教会主導で侵略戦争までも行うようになったのです。同じように、キリスト教は、戦争とかかわってきました。

 さて、第二次世界大戦のときの日本では、キリスト教は一つの団体でした。日本基督教団です。この教団をとおして、各教会は戦争を支援しました。戦闘機を献げるなど、直接にも戦争を支えたのです。いま、その戦争に協力した理由を尋ねるならば、「キリスト教を存続させるため」と説明されます。「自分自身を守るため」であります。「自分自身を守るためならば、戦争をしてもよい」のでしょうか?これは、イエス様の教えたこととは違う考えなのだと思います。そういう意味で「正戦」(正しい戦争)というキリスト教から出た考え方は、成り立っていないのだと思われます。もともと、イエス様は非暴力を教えていたのに、教会は、人を殺さないように「軍隊に入ることを拒否しなさい」という指導はしていません。平和を訴えているのに、具体的には戦争に対して抵抗をしていないのです。加えて、「平和主義では、戦争をとめられない」とか、「友人が傷けられようとしているときに、助けるべき」として、平和主義や非暴力主義を「無責任である」と批判する人もいます。このような理由で、平和を願う中でも、条件付きで戦争は支持されてきているのです。

 インドのガンジー首相やアメリカのキング牧師は、非暴力による抵抗で、「悪に抗議し」、悪を克服できることを示しました。ある研究者が約100年間の抵抗運動を調査した結果は、「非暴力抵抗が完全または部分的な成功を達成する可能性は、暴力をともなう抵抗のほぼ2倍」であることを明らかにしたそうです。わたしたちは、理想としてではなく、現実の対応として、非暴力抵抗を考えて行きたいものです。

 このヘブライ人への手紙によると、キリスト教に改宗した信者たちは、ユダヤ人たちの暴力にさらされました。その痛みをうけているだけではなく、その暴力を今後とも防いでいける自信はありません。そんな時には、だれでも、暴力をふるう者たちの意向に沿うようになってしまいがちです。強い者は迫害されません。ですから、迫害は強いものから一方的に弱いものに下ります。弱い者は迫害を受けないように逃げ回るか、抵抗をしながらも、迫害する者の注意をそらすために、その意向にあわせようとします。弱い者が、自分自身を守るためです。

 日本の教会は、第二次大戦中に犯した罪は、まさにこのようにして起こりました。先の大戦中、敵国の宗教としてキリスト教は監視の下におかれます。ですから、御真影(昭和天皇の写真:どの学校にも置かれていた)への礼拝も強制されていました。そして、宮城遥拝(皇居の方向に向かって礼拝する)も強制されていました。キリスト教会の主日礼拝には、特高警察が来て、宮城遥拝をしているかや、説教の内容をチェックします。バプテストの教会でも、牧師が捕まって投獄されていますが、「天皇は神である」と教えないと投獄されるといった、とんでもない時代でした。このような弾圧があるなか、殆どの教会は戦争に協力します。献金を募って戦闘機を国に献げ、神社に参拝することを呼びかけました。たしかに、非暴力ではありますが、何の抵抗もできなかったのです。キリスト教が根こそぎ無くなるよりも、言われるがまま協力をして、生き残ることを考えたわけです。ですから、日本のキリスト教は、自らの意思で、イエス様の教えからはずれてしまいました。そして一度、妥協してしまうと、本来の信仰に戻ることが難しくなります。実際、もっともっと協力することを求められ、気づいてみれば、戦争を押し進める側にいたのです。

 へブライ人への手紙に戻りますと、このときのキリスト教への改宗者は、律法を守る習慣に戻るようにと勧められ、そして時には暴力によって強要されました。ここで、抵抗することをあきらめて妥協したら、ユダヤ教徒にもどってしまい、キリスト教徒ではなくなってしまいます。ですから、手紙の著者は妥協しないで、抵抗して「霊の父の鍛錬と思って悪と戦う」よう、勧めます。もちろん、戦うといっても、暴力に対して暴力で返すのではなく、抵抗をすることです。決して、妥協や、迎合をしてはいけません。しかし、実行するのはたいへん難しいす。日本では、空気を読むことが一つの文化ですから、迎合しないようにすることは、戦いそのものとなります。たしかに、戦時中の教会では、信仰者の多くが不安を抱えていました。国と、うまくやっていかないと、教会の主だった人が捕まり、そして信徒が非難中傷の的となって、教会がなくなってしまうことは、誰でも想像できたでしょう。

 実際、教会を守るために、ある程度の妥協も仕方がないとして迎合しました。こうして、「ある程度の妥協」という、いつでも修正の利くはずの、少しだけの「ずれ」のつもりだったのに、ずるずると「深い罪」を犯し、そして、信徒にも「神以外のものを神とする」ように指示するまでになったのです。日本のキリスト教会は、取り返しのできない罪を犯したのです。

 戦後、20年くらいたってから、それぞれの教団、教会が罪の告白をし始めました。日本バプテスト連盟も1988年8月に、他の教団と比べて20年も遅れましたが、「戦争責任に関する信仰宣言」を出しました。遅かったのは、被害者としての意識を持ったままで、自らが犯した罪を黙っていたからです。宣言という名の、『罪の告白』を出すまで43年もかかってしまいました。

一部を紹介します。

『私たちは、この大戦がまさに明治以来の富国強兵政策の「力」の絶対化と「むさぼり」の行きつく結果であったことをわきまえようとせず、「八紘一宇」(注)のスローガンが偏狭な民族エゴイズムに過ぎず、天皇制(を利用すること)で、「むさぼり」とそれを生み出す差別とを正当化することを見抜けなかった。そして、信教の自由・政教分離を主張すべきバプテストでありながら、かえって国家を神の国と同一視し、アジア侵略を神が祝福される領土拡張として単純に受け入れた。そして私たちは、「むさぼり」が今日においてもアジア諸国の民衆を抑圧するばかりか自らの生をも歪めていることを知りながら、未だ福音に応答する「平和を造り出す者」の生き方を実現できないでいる。私たちは深い痛みをもって自らの罪を告白する。また、私たちは、天皇制国家が持っている問題性について十分に問うことをせず、その体質を引き継ぐことによって、主告白をあいまいにしていることを自らの罪として告白する。』

 今日の聖書は、迫害のただなかにいるキリスト教徒に、戦うことを勧めています。それは、もちろん暴力をもって戦うのではありません。言葉や祈りを持って迫害に対して抵抗をするのです。そして、その迫害自体は神様のご計画であり、神様が私たちの信仰を強くするために、鍛錬をしていると説明しています。私たちは、信仰を持ったからと言っても、一人で歩めるほど強くはありません。必ず、霊の父である神様から鍛えられなければ、まっすぐ歩けるようにならないのです。ですから、わたしたちは、まずこの連盟の告白(信仰宣言)について読んで理解しましょう。そして、私たちの罪の告白について、「あいまいにしている」ことを告白しましょう。そして、平和を作り出すために、何をしたらよいか、何ができるのかを、祈りながら考えてまいりましょう。神様は、私たちを導き、自分の足で歩けるようにしてくださるからです。


注)日本書紀の「八紘 (あめのした)を掩 (おお)ひて宇 (いえ)にせむ」を、全世界を一つの家のようにすると 解釈 したもの 。天皇のもとに世界を一つにするといった、侵略戦争の口実。