ルカ5:12-26

 の人をいやす


1.重い皮膚病をいやす

 イエス様はガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出していました。そして、イエス様がある町におられるとき、そこに、全身が重い皮膚病にかかった人がいました。 「重い皮膚病」とは、ハンセン氏病のことです。いまでこそ特効薬があるために差別されることは無くなってきましたが、当時これを患う者は、不浄の者と見做され、隔離されたのでした。それは伝染病予防のためとは言え、本人にとっては屈辱なのでした。

 この皮膚病の男は人から聞いて、イエス様にすがろうとしたのでしょう。罰を受けることは覚悟のうえで、町に入りました。そして、イエス様を見つけて、ひれ伏して願います。

「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」

このように、イエス様に対する信仰と信頼を告白して、癒しを求めました。


 イエス様が手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去りました。そもそも、皮膚の伝染病です。近づくことさえ厭われていたのです。それなのにイエス様はこの男に触れました。イエス様はこの男に触れることによって、社会から汚れた者として疎外されてその人の孤独と恥を共に負われたのです。そしてイエス様のこの関わり方と「清くなれ」という言葉によって、全身をおおっていた鎧のように重い「皮膚病」はたちまち彼から消え去りました。イエス様の命令によって、古い汚れによってできた重苦しい人生から、新しくて清い新鮮で快活な人生への逆転が、一瞬にして起きたのです。


  重い皮膚病が癒されたその人に、イエス様は二つ指示をしました。一つは、誰にもこのことを語ってはならない、ということです。イエス様はすでにたくさんの人々に取り囲まれており、これ以上、うわさが広まると、群衆に引き止められ、広く福音を告げ知らせることが出来なくなるためです。もう一つの指示は、律法に従って祭司の所に行って見せ、清めの献げ物をし(レビ記14章)、人々に清くなったことを証明しなさいという指示でした。


2.中風の人をいやす

 イエス様は病気の人をいやしておられました。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中にいるイエス様の前に置こうとしましたが、群衆に阻まれて、運び込むことができません。

  中風(ちゅうぶ)とは、中国の医者が使った言葉で、「邪風に中(あた)って起こる半身の不随とか、腕や脚のマヒ」とされます。一般的には、脳出血後に残る後遺症のことです。ここでは、中風とみられる人本人が歩けないので、床ごと運ばれてきたという状況です。この床については、ソファやベッドを指しますが、その語源はクリノー(κλίνω)で、「曲がらされる」ことから来ています。つまり、ベットに横になっているのではなく、ソファにうずくまっているか、ベットの上で体を曲げた状態で運び込まれているようです。

  また、戸口から運び入れることができなかったので、男たちは屋根に上って瓦をはがしたとありますが、瓦(タイル)と訳されている言葉そのものは、そもそも屋根のことです。(日常の生活の場となっている屋上に上って、屋上【泥葺きの屋根】をはがした)

 開けた穴から、人々の真ん中にいるイエスの前に、病人をソファーごとつり降ろしました。みなさん、少し安心したと思います。ベッドのサイズをそのまま下せるくらいの大きな穴を開けたわけではないのです。(もしそうならば、部屋の天井がほぼ無くなります。)また、当時のイスラエルの貧しい田舎の民家は、瓦などでは葺いていません。一階の天井になるように梁の上に角材を載せ、その上に補助的役割で木の枝を並べて、そこに泥を塗ります。これで、1階の天井と屋上の土間ができるわけです。そこから床を下すわけですが、当然ながら運搬用の道具などはありません。日常使いのソファを使ったのでしょう。(日本では、このような時は、何処にでもある雨戸の戸板を使いました)ですから、思いのほか小さい穴で済むので、屋上を壊すのも復旧するのも簡単です。多分ルカは、ギリシャの文化圏向けに福音書を書いたので、屋根には瓦があって、人はベットに寝るものだという常識に対して、違和感がないようにしたのだと思われます。その結果、この中風の人を連れてきた人々の信仰が、実際以上に強いとの評価となってしまいました。


 イエス様はその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われました。<その人たちの信仰>とは、中風の患者を運ぶ人たちの信仰です。中風の患者も癒された後、「神を賛美しながら帰って行った」とあるので、患者の信仰も含まれているでしょう。彼らの信仰は、イエスの権威と奇跡的な力に対する信頼です。イエス様を信じて、これほどの事をしたのですから・・・・

 ところが、そこに律法学者たちやファリサイ派の人々が座っていて、心の中であれこれと考え始めました。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」と考えたのです。「罪を赦すこと」は、旧約聖書では神の特権です。神の特権を横取りする者は、石打ちの刑で殺されることになっていました(レビ記24・15-16)。

 イエス様は、彼らの考えていることをを見抜いて、お答えになりました。「中風の人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」との問いがその答えです。