マタイ7:1-29

 人を裁くな 

1.人を裁くな

  人を裁くと、人からも裁かれます人を裁くということは、自分の価値観を相手に押し付け、相手の価値観を否定するようなことだからです。相手の価値観を否定してよいと考えるなら、相手も同じように自分の価値観を否定してくるでしょう。しかし、相手の価値観を尊重するならば、自分自身の価値観を相手も尊重してくれます。ですから、人を裁くことは、避けるべきです。

 7:3 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。』

 自分の目がしっかり相手を観察できない状態なのに(目の中に丸太があるのに)、相手の目が良く見えてないから「見誤っている」と思い込んでいるのです。まず先に自分の目が「見誤っていないか」を確認する必要があるのです。

 『7:6 神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

 神聖なものを見分けることも、その扱い方も知らない犬 そして 価値を見分けることも、その扱い方を知らない豚 これらは、あなたの価値観で裁く相手の人を象徴しています。あなたが、その価値観を相手に投げつけても、その価値観はふみにじられ、そしてあなたを攻撃してきます。だから、あなたの価値観を相手に押しつけてはなりません。

2.求めなさい

  求めなさい、そうすれば与えられるとは、「なんでも神様に願えば、かなえてくれる」という意味なのでしょうか? 少し弁証法的にこのみ言葉を切り刻んでみたいと思います。
・命題「求めると与えられる」としたら反対命題は「求めないと与えられない」をあげられます。「求めても与えられない」、「求めなくても与えられる」も同様です。構図を描くとこうなります。

 「求めなくても与えられる」  ←反対→   「求めると与えられる」
       ↑                    ↑
      反対                   反対
       ↓                    ↓
 「求めないと与えられない」  ←反対→   「求めても与えられない」

 この四つの命題は、どれも起こりえることです。なぜ、イエス様は「求めなくても与えられる」とか「求めても与えられない」ことを無視してまで、「求めると与えられる」と言うのでしょう。

 ルカによる福音書に以下のような記事があります。「求めれば」「探せば」「門をたたけば」というのは、そのようにして「しつように頼めば」という趣旨だという事がわかると思います。ルカでは友達がその相手として書かれていますが、そもそもイエス様がおっしゃっている「求める相手」というのは、神様のことです。「しつように祈れば、与えられる」との祈りの大切さを教えられていたのです。

ルカ『11:5 また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。11:6 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』11:7 すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』11:8 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。11:9 そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。11:10 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。11:11 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。11:12 また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。11:13 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」』

3.狭い門

  難関を攻めなさい。と誤解を招いている聖書箇所です。

 本来、天国に入るには、身一つで良いのです。ところが、富んでいる者には大きな荷物がたくさんあります。ですから、広い門を通りたがるわけです。そして、多くの人の支持を得ながら盛大に行列を作りたいものですから、狭い所を通りにくいのです。結果として、広い門を選ぶのですが、命に通じる門は、身一つでしか入れないのです

4.実によって木を知る

  木の見栄えで、その実で木の良しあしを判断してください。良い実は良い教えによって育ちます。偽預言者は、羊の皮をかぶった狼です。みかけでだまされてはいけません。良し悪しは、良い実がなっているかでわかります。育てた弟子。育てた教会。これが実です。

5.あなたたちのことは知らない

  イエス様に主よ主よと言っても、神様の御心を行わないものは、天国に入れません。

6.家と土台

  家の土台動いてしまったら、すぐに家がひしゃげて壊れてしまいます。壊れないためには、固くて重い岩を土台にして、雨風地震でも動かないことが必要です。このことは、みんな良く知っていますが、そのとおり行う人は少ないのです。便利だからと言って川べりに家を建ててしまうと、一雨で流されてしまいます。イエス様のお話についても、同じです。聞くだけで、行わないのなら、そこに建つ信仰という家は脆弱なものでしかありません。雨が降り、川が溢れ、土砂が流れると、一雨で流されることになるでしょう。