ルカ19:1-27

 徴税人ザアカイ

 

1.徴税人サアカイ

 徴税人は、権力を持っていました。新共同訳聖書の解説を見ると、「ローマ政府あるいは領主(ガリラヤではヘロデ・アンティパス)から税金の取り立てを委託された役職。異邦人である外国の支配者のために働くばかりでなく,割り当てられた税額以上の金を取り立てて私腹をこやすという理由で,ユダヤ人から憎まれ,「罪人」と同様に見なされた。」とあります。だから、ユダヤを裏切った者として、嫌われていました。そしてザアカイは、その頭ですから、ローマにたくさんの税金を納めることを約束し、その地位を確保していたものと思われます。そして、自分の利益も相当に取るわけですから、ザアカイがいることで、ユダヤの人々は余計に税金を払わされたと言えます。嫌われ者ですから、評判になっているイエス様が来た時に、だれも良く見える場所を譲ってくれるはずもありません。それに、ザアカイは背が低かったのです。これでは、イエス様を見ることは出来ないと思ったザアカイは、イエス様の向かう先に走り出します。先回りしてよい場所を確保するためです。そして、イチジク桑の木を見つけて、そこから高見の見物を決め込みました。

『19:5 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」19:6 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。』


 イエス様はザアカイの名を呼びました。周辺にいる人から名前を聞いたのでしょう。ですから、取税人の頭であることもイエス様は知っていたものと思われます。ユダヤの人から見れば、徴税人の頭は「国を裏切って、金で売った」大罪人です。それを知っていながら、イエス様はザアカイの家に宿泊すると申し出たわけです。一般に、普通の人々は罪人と付き合いません。特に、食事を共にするなどと言うことはあり得ないことです。しかし、イエス様は「この徴税人ザアカイの世話になる」と言うのです。


 ザアカイは喜んで木を降り、イエス様を接待します。これまで、ちびでありながら人を押しのけて今の地位を得たザアカイです。だれも友達はいません。そして、思いがけなくも、今、預言者として評判のイエス様に声をかけられ、そして泊まると言ってくれているのです。こんな気分の良いことは、なかなかあるものではありません。一方で、人々は「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」とつぶやきます。要するに、良い扱いをしてもらえることを期待して、イエス様が金持ちで罪人のザアカイの所に泊まったと評価したわけです。その評価は、すぐに覆ります。ザアカイはイエス様に言いました。

『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』


ザアカイは、罪人の一人ではありますが、決して我々と比べて罪深いわけではありません。徴税人であることから、嫌われてはいますが、私たちと同じように救いに与る権利はあるのです。そして、ザアカイは2つのことを自発的に約束しました。貧しい人々に施しをすることと、いままで不正を行っていたなら四倍にして返すことです。つまり、ザアカイは、不正を働いていなかったのだと思われます。その職業をもって人を判断するのはいけません。ザアカイの本質は善良なのかもしれないですね。イエス様はこの約束を喜んで受け取りました。イエス様は、ザアカイのような人々を救うためにやってきたのですから・・・


2.ムナのたとえ

 次の20章では、いよいよエルサレムに入城します。人々は、すぐに神の国が来ると思い込んでいましたので、そうではないことをイエス様はたとえで話しました。もちろん王となって戻ってくるのはイエス様です。10人の僕に1ムナづつを渡して、帰ってくるまでの間、商売をしているように指示をして、出かけました。すると、「この人を王にしてはいけない」との使者が出されました。王となって帰ってきた主人は、1ムナづつ預けた僕を集め、その成果を報告させます。10ムナに増やした僕と5ムナに増やした僕は、王様から褒められ、そのお金の管理をまかされてさらに、町の支配権を与えられます。しかし、そのまま保管していた僕は、持ってきた1ムナも取り上げられてしまいます。そして、最後に「王になることに反対した人」を引き出してきて、殺せと命じたのです。


 天の国は、イエス様がユダヤの王となって再臨するときに来ます。今、エルサレムに上る場面で、「王になって帰って来るるために一時出かける」ことを示唆したものです。その時にイエス様を受け入れずに拒否した人々は裁かれます。また、その留守の間私たちは、イエス様の意志に従って、働かなければいけません。すべての人がイエス様を信じるようにと伝道することが必要なのです。そして、イエス様が返ってくるまでに成果を上げた人々は、イエス様が再臨したときに、より大事な役割を与えられるのです。