創世記9:18-28

ノアの息子たち


ノア-セム  - エラム、アシュル、アルバクシャド、ルド、アラム (セム語族) 

   ハム  - クシュ、エジプト、プト、カナン         (エチオピア人、エジプト人、カナン人)

   ヤフェト- ゴメル、マゴグ、メディア、ヤワン、トバル、メシュク、ティラス(ローマ・ギリシャ語圏、印欧)


1.全世界の人々

 全世界の人々は、ノアの3人の子たちから生まれています。ノアの末の息子は、ヤフェトですが、一番若い子供と言う意味でノアの孫カナンが、その時いちばん若かったので、末の息子とノアは呼んだと思われます。ところがカナンは呪われ、ノアからセムの奴隷、ヤフェトの奴隷となれと宣言されました。そして、領土的には、ヤフェトが支配し、しかし精神的にはセムの神の支配下となると宣言します。

 こうして、3人の兄弟の子孫が、世界中の大きな秩序のもととなりました。


2.ノアの罪ハムの罪

 ノアは農夫になって、葡萄を作りました。そして、ワインを作ります。ここまでは、罪はありません。問題は、酔うまで飲んだことです。そして、裸になるとの醜態をさらしました。神様に忠実であったノアであっても、罪からのがれることは出来なかったのです。息子ハムが、その姿を見つけて、兄弟たちを呼びました。そして、裸を覆ったとき、セムとヤフェトは、ノアを見ないようにしました。

 問題は、ハムです。兄弟を呼びに行っただけで、何もしていません。そして、息子のカナンが呪われます。そして、ヤフェトには領土的な支配を、セムには精神的な支配を宣言して、カナンは奴隷になれと言うわけです。ハムは、ノアの醜態を見て、軽蔑したのでしょうか?また、息子カナンはハム以上に問題なことをしたのだと思われます。そうでなければ、カナンは呪われるまではなかったでしょう。結局、ノアはセムとヤフェトを祝福しましたが、ハムには何の祝福もありません。そして、「カナンはセムとヤフェトの奴隷となれ」と呪われたのです。

3.告げ口

 ハムのやったこと。父の裸を見た。これは、偶然の事でありましょうから、罪とは言えません。そして、その時の行動や心情が問題です。記事によると、父が裸で寝ていることを天幕の外にいる兄弟に告げています。それ以外は何もしていません。本来、ハムはどうすべきなのでしょうか?告げ口をしに出掛けるくらいなら、自身が父の服を取って父の体を覆えば、良かったと思われます。告げ口をして、その事を知る人を増やす必要はありません。ノアの名誉のためにも、その配慮が必要でしょう。

 また、ノアへの注意も必要だと思われます。そうしないと、何度も繰り返すことが考えられるからです。どうも、そういう心情がないのではと疑われるのは、罪の状態にあることを取り除く作業には参加しないで、罪の状態にあることを言い広めているからです。愛情をもって正しい姿を取り戻してあげることには、興味がないのに、悪を言いふらしたわけです。悪を言いふらすというのは、「正義感」とは限りません。むしろ、これは父ノアを蔑んでいるからこそ、告げ口をして、辱めたのです。

 まだ、一つわからないことがあります。なぜハムはノアの天幕に入ったのでしょうか? ノアが酔いつぶれていたならば、ノアに呼ばれるはずもありません。ということは、ノアを辱める機会を伺っていたとも言えます。そういう意味で、何もしていないようで、実はハムの悪意は、直接の証拠を残さないで、発揮されていたのです。また、このような悪意を向けられた人は、必ずその悪意に気がつくのです。


4.カナンの犯した罪

 聖書では、ハムはカナンの父であることを先に断っています。そして、この物語にはカナンは登場していません。ハムのやった罪に対して、ノアが孫のカナンを呪ったのでしょうか? それでは、理不尽すぎるように感じます。ただ、家長制ですから、家長のノアが言ったことが最終決定です。ハムの家全部を呪うのではなく、一部だけにしたのかもしれません。ただ、それならばなぜカナンが呪われるのでしょうか?

 そこで、わかりやすいストーリを考えるならば、やはりカナンが何かをしたのだと言うことです。ハムと一緒にいて、一部始終を見ていたのかもしれませんし、率先して告げ口しに向かったり、ノアの体を覆う作業には加わらなかったり、ハムと同罪だったということはあり得そうです。でも、普通に考えたら、ハムを呪うことになりそうです。やはり、カナンは何かやったのです。実際ハムは、三男ではなく、次男です。末の息子ではありません。

 ノアが酔いを醒ましてから、この事件を知ると、カナンのやったことを知り、そして呪ったのです。ただ、聖書には何も書いていないので、もしかして書くことも憚るようなことだったのかもしれません。


5.ノアは洪水から350年生きた

 この寿命の長さは、ノアが子供たち、孫たちの生きていく様子を見ていたことを表します。アブラハム(生まれた時はアブラム)が58歳のときまでノアは生きていました。そして、「バベルの塔」の様子もノアは立ち会っているのです。罪に満ちている人々をノアは、目撃していたのです。