マタイ6:16-34
思い悩むな
1.断食するときには
「施しをするとき」、「祈るとき」と同じく、偽善者のように断食を人に見せるために行ってはならないとの教えです。願いをかけるために、神様に訴えようという断食です。考えてみると、「祈る時」と、ほぼ同じ意味をさします。命を懸けて祈っている様子を見せることによって、すでにその願い(人から、「信心深い」等と敬意を向けられる)は、報いを既に得ているのです。本当に、断食をして得たかったものが、意義はもともとないのならば、神様は顧みないでしょう。逆に、断食をして祈るの姿を神様にしか見せていないのであれば、神様はそこに報いようとされるのではないでしょうか?
2.天に富を
あなたにとっての「富」は、物でしょうか? それとも、神様との関係でしょうか? 物であるならば、どれだけ気掛けてもそれは天 には持っていけません。それどころか、虫食いや、盗難にあえば価値は下がります。一方で、生きるために必要な「物」は、神様が与えてくださると信じれば、そこに多くの「心」を向ける必要はありません。ですから、神様との関係に心を砕きませんか?
3.体のともしび
目は、体の灯りです。あなたの目が健康ならばあなたの体全体が明るい。しかし、あなたの目が不健康ならば、あなたの体全体が真っ暗だ。そして、あなたに灯りがなくなれば、どれほどまで暗くなるのであろうか?
灯りとは心を示します。目が健康ならば、あなたの体は灯りに満ちています。そうすれば、他に光は必要ありません。しかし、目が不健康だったり、心の明かりがなくなれば、どれほど暗くなるのでしょう・・・
4.神と富
この富(マモン)は、汚れたお金、悪徳による富を指します。従って、神と悪徳の富は真反対で、どっちかにつかなければなりません。
神と悪徳の富に同時に仕える事はできません。だから、思い悩む必要はありません。
5.思い悩むな
思い悩むな、神様は必要を与えてくれる。この部分だけを見るとそういうメッセージです。しかし、神と悪徳の富 その両方に仕えることが出来ないのです。だから、思い悩むことは、悪徳の富と天秤にかけているとになります。神に仕えるのならば思い悩まない方が良いでしょう。たとえ、思い悩んでも神様は必要を与えてくださいます。空の鳥、野の花にも神様はそうされるのです。しかし、それ以上の存在である私たちが、神に仕え、神に聞き、神に応答するのであれば、それ以上の恵みを神様は与えてくださいます。だから、神様に仕えましょう。