ルカ21:20-38

 人の子が来る

 

1.エルサレムの滅亡を予告する

 

 ルカ『21:7 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。』


この答えですが、神殿のことと世の終わりのことの2つの徴をイエス様が話していました。まず神殿のことについて答えます。

 神殿の崩壊は、街、そして人々の終わりが来たという徴です。戦争と戦争の噂や、前兆のような飢饉と疫病がひどいく続く。これらすべては、今後数年間で、人々の心を怖がらせ、当惑させ、差し迫っているように見えるでしょう。しかし、人々は、これらがイエス様が予告していた世の終わりの兆候ではないことを知っておくべきです。しかし、聖なる都が敵対的な軍隊に取り囲まれたとき、人々に警戒させなければなりません。すぐに、どんな犠牲を払っても神殿と町から逃げさせる必要があります。なぜなら「エルサレムは異邦人から踏みにじられる」(24節)からです。

 エルサレムの近くにローマ軍が集まることは、ユダヤ人の為政の終わりの徴であるとイエスからはっきりと警告されました。ですから、クリスチャンはヨルダンを越えて逃げました。しかし、多くのユダヤ人は、ローマからの解放が聖なる都と神殿に保証されると信じて、最後まで立て籠もりました。

2.人の子が来る

 世の終わりに先立つの徴について、続けてイエス様が教えます。

 太陽と月と星の中に徴があるでしょう。そして、海と波が轟音を立てる。人の心は恐れのために、失望します。彼らは人の子が力と大いなる栄光を持って雲に乗って来るのを見るでしょう。さて、24人の弟子たちの質問は、イエス様が話した神殿の崩壊の徴をいつ探すべきかということでした。しかし、彼らは、神殿の崩壊と世の終わりを密接に結びつけていたことを覚えておく必要があります。イエス様はに神殿に関する彼らの質問に答え、神殿の崩壊を告げるために彼らが探すべきまさにその徴を彼らに説明しました。

 

 終わりの時が来て、人の子が栄光のうちに来ます。太陽、月、そして星の徴は、日食と星の落下です。これらの言葉は明らかに、預言者が国の崩壊を表現するために使用してきたものです。例えば、イザヤ(イザヤ10:32)はこのようにバビロンの滅亡について語っており、エゼキエル(エゼキエル7:34)はエジプトの崩壊について語っています(イザヤ4:2も参照)。


3.「いちじくの木」のたとえ

 イエス様は弟子たちに、時の徴を見るように言われました。イエス様はユダヤ人国家の破滅を近くにあると教えました。しかし、このアブラハムの民族と家族は根絶されることはありません。それは、人の子が明らかにするときに、見いだされるでしょう。その徴はいちじくの木のようです。誰が見ても、イチジクの葉が萌えてくれば、夏が近づいていることがわかります。終わりの時の徴を見たら、神の国が近づいていると思わなければなりません。しかし、徴の全てが起こるまで、この世の終わりとはなりません。天地が滅びても、イエス様の言葉は滅びないのです。


 イエス様は、「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないよう」警告します。この命令は、キリストのすべての弟子たちに向けられています。

「あなたがたは誘惑に圧倒されたり、あなた自身の堕落に裏切られたりしないように、あなた自身に注意を払いなさい」と。

 私たちが肉体的に安全であるならば、安全であるとは言えません。私たちの準備ができていないときに、死と裁きの日が私たちに降りかかるからです。私たちが主に召される。それは私たちの考えから最も遠いものです。なぜなら、それは、地上に住み、地上のことだけを気にし、天と会話することのない私たちに起こるからです。それは私たちにとって恐怖となるでしょう。ここで、私たちがそれらすべてから逃れるのにふさわしいと、認められることを考えてください。その日、どのようにキリストの前に立てば、ふさわしいと認められますか?。まだ、キリストを求めたことのない人々は、今キリストのもとに向かう必要があります。まだ、罪のためにへりくだったことのない人々は、悔い改めましょう。すでに信仰をもっている人たちは、信仰を深め、自分を謙虚に保ってください。そうなるように、常に今の自分を見つめて、祈ってください。罪に気をつけなさい。すべて義に注意を払い、善を行うあらゆる機会を最大限に活用してください。私たちが毎日、キリストの言葉に耳を傾け、キリストの戒めに従い、キリストの教えに従い、キリストが来るときはいつでも私たちが見つけることができるように。