マタイ5:13-17

地の塩、世の光

 

1.

  塩【しお】とは、塩味をつける調味料です。古来から、海水等から塩分の含んだ水を使って作るか、岩塩を掘って使ってきました。人類だけではなく、体に必要な物質です。その塩味をつけるための、塩に味がないとはどういう事でしょうか?ほとんど意味をなさない物だという事はわかりますが、そのような物があるのでしょうか?  
 実は、日本でこそ塩はNaClと言う物質を指しますが、本来は鹸【けん】(化学でいう塩【えん】)のなかで塩気のある物を調味料としているものです。塩気のない鹸は、もちろん古代では石鹸に使われるなど用途があるのですが、塩味にだけ価値があるとすれば、使い物になりません。(参考に「塩の契約」を記載しました。塩は「清め」を象徴しており、塩味がない塩では供物をささげることも出来ませんでした)

 それでは、なぜ弟子たちに『あなた方は地の塩である』とイエス様はおっしゃるのでしょうか? やはり、聖なる者に仕える者として清められた状態を維持しなさいとの教えだと思われます。また、「塩の効いた言葉」(コロサイ4:6)という箇所もあります。本物の塩出、物を清めるだけではなく、行い、言葉等も「塩」に象徴される 「全身全霊で主を愛する」ことで、清められなければならないのです。

参考:「塩の契約」(世界百科事典より)

 塩はまた,とりわけ聖書において高い象徴性をもって語られている。そこでは神と人との間に不壊(ふえ)にして聖なるきずなが〈塩の契約〉ということばで表され(《民数記》18:19,《歴代志》下13:5など),ヤハウェ自身が供物に塩を加えることを命じ(《レビ記》2:13,《エゼキエル書》43:24),さらに塩によって悪しき水を清め,死と流産の穢(けがれ)をはらう(《列王紀》下2:20)ことが述べられている。新約聖書の有名な一句〈汝らは地の塩なり〉も以上のような旧約における不変の契り,神の食物,浄化力の象徴としての塩のイメージが重層的に内面化されたものとして読むことができよう。 

2.光

 光は、しばしば神が生きて存在している 「しるし」として用いられます。天地創造の時も、神様は最初に光から造られました。H狩りは、神様の働きを象徴します。
 弟子たちは光に例えられました。弟子たちは高いところに立って、すべての人が光に照らされるよう、そして弟子たちが皆から見えるようにして、人々の模範になりなさい。