ダニエル書9:1-19

ダニエルの祈り

  エレミヤ『25:11 この地は全く廃虚となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に七十年の間仕える。25:12 七十年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する、と主は言われる。そして、そこをとこしえに荒れ地とする。』(29:10にもあり)

 ダニエルは、バビロン捕囚が70年でおわることをエレミヤ書から読み取りました。イスラエルの犯した罪によって、神様がイスラエルの民を遠くバビロンで捕囚として働かされ、そして首都エルサレムは荒廃するに任せていたのです。ようやく、その罰を受ける期間が終わりますが、ダニエルはそれを受け止め、神様に祈りました。


1.懺悔

 ダニエルは、「断食し、粗布をまとい、灰をかぶって祈りをささげ、嘆願した。」とあります。70年で帰れると喜んだのではなく、ダニエル自身が悔い改めの祈りを捧げたのです。ダニエルは、バビロン捕囚の初期からバビロンに来ていました。そこから70年ですから、80歳! これでは、生きているうちにエルサレムに帰還することは叶いません。ダニエルは、自分たちの犯した罪をこのように告白したのです。

『9:5 わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。9:6 あなたの僕である預言者たちが、御名によってわたしたちの王、指導者、父祖、そして地の民のすべてに語ったのに、それに聞き従いませんでした。』

悪行をし、神様に背き、そして、神様から離れたので、神様はイスラエルに預言者を送りました。しかし、王たち、父祖、イスラエルの民は、預言者の警告を聞き入れませんでした。四重にも悪を行っていたことをダニエルは告白します。そして、その結果として神様によってユダの民は全世界に散らされたことをダニエルは神様の前で認めるわけです。モーセによってもたらされた律法にある、「誓いの呪い」がユダの民に降り注いだと、ダニエルは嘆いたのです。「呪いの誓い」とは、律法(モーセ五書)の掟を守るとの契約を指します。

申命記『29:18 もし、この呪いの誓いの言葉を聞いても、祝福されていると思い込み、「わたしは自分のかたくなな思いに従って歩んでも、大丈夫だ」と言うならば、潤っている者も渇いている者と共に滅びる。29:19 主はその者を決して赦そうとはされない。そのときこそ、主の怒りとねたみが燃え上がり、この書に記されている呪いの誓いがすべてその者にのしかかり、主はその名を天の下から消し去られる。』

この言葉を信じたダニエルは、「主の御言葉は成就し、恐ろしい災難が襲いました。」と告白しています。神様への罪の積み重ねが、神様によってバビロン捕囚と言う悲劇の出来事を引き起こされることになったのだと、ダニエルはそこに神様の意思を感じたのです。そして、「神様が正しく、民は御声に聞き従わなかった」と、ダニエルは悔いるのです。

2.ダニエルの祈り

 ダニエルは、改めて神様に向き合って祈ります。事実を語り、それに対する祈りです。

『わたしたちは罪を犯し、逆らいました。』 ⇒ 『エルサレムからあなたの怒りと憤りを翻してください。』

『わたしたちの罪と父祖の悪行のために、~、近隣の民すべてから嘲られています。』
  ⇒『僕の祈りと嘆願に耳を傾けて、荒廃した聖所に主御自身のために御顔の光を輝かしてください。』

 この祈りは、交換条件を示さない、一方的な祈りです。「逆らうのをやめるから憤りを翻してください。」とか、「悪行をやめるから、御顔の光を輝かせてください。」とは、ダニエルは祈らなかったのです。私たちの非を認め、そして、それでも何もできない。だから、「助けてください。」と言うだけの祈りとなったのです。

【 神よ、~わたしたちの荒廃と、御名をもって呼ばれる都の荒廃】
  ⇒『わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます。』

 ダニエルは、神様の裁きにあって都が、そしてユダの民が荒廃してしまったのは、ユダの民が悪いことをわかって、しかしその悪い民を丸ごと、神様の憐れみによって「助けてくださるように」祈ったのです。ダニエルは、人間のできることの限界を感じていたのでしょう。できないことを約束して祈るのではなく、神様の無限の愛、憐れみをくださるように、祈るしかなかったのです。