イザヤ書11:1-10

平和の主 

 来週からアドベントです。日本語では「待降節」と呼ばれています。イエス・キリストがお生まれになるまでの間、4本のろうそくをともしてその誕生を待つわけです。ろうそくは4本。預言者のろうそくから初めて、1週ごとにひとつづつろうそくを増やします。2週目は天使のろうそく、3週目は羊飼いのろうそくです。そして4週目がベツレヘム(イエス様が生まれたイスラエルの街の名前)のろうそくです。そして、イエス様の誕生にあわせてイエス様のろうそくに火をともします。プロテスタント教会では、クリスマス前の最も近い日曜日にクリスマス礼拝をしますので、12月18日から24日の間の日曜日にイエス様のろうそくに火をともします。

アドベントキャンドルの順番  2天使 4ベツレヘム (イエス様) 3羊飼い 1預言者 

1.エッサイの株

エッサイは、ベツレヘムの人です。おじいさんがボアズ、おばあさんがモアブ人のルツで、ユダ族の血筋になります。ルツ記の物語で、エッサイへの血筋は守られたのです。このエッサイの息子の一人がダビデです。ダビデは、サウル王の次に王となったダビデです。ですから、エッサイの株とは、ダビデの家を指します。エッサイの株から出た若い芽は、救い主のことを指しています。イザヤのこの預言は、救い主がダビデの家に生まれること、そして生まれるのはベツレヘムであろうと、されていました。ユダの国のベツレヘムに、救い主が生まれると言われているのは、もう一つ聖書に根拠があります。

ミカ書『5:1 エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。5:2 まことに、主は彼らを捨ておかれる/産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者は/イスラエルの子らのもとに帰って来る。5:3 彼は立って、群れを養う/主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり/その力が地の果てに及ぶからだ。5:4 彼こそ、まさしく平和である。アッシリアが我々の国を襲い/我々の城郭を踏みにじろうとしても/我々は彼らに立ち向かい/七人の牧者、八人の君主を立てる。5:5 彼らは剣をもってアッシリアの国を/抜き身の剣をもってニムロドの国を牧す。アッシリアが我々の国土を襲い/我々の領土を踏みにじろうとしても/彼らが我々を救ってくれる。』

彼とは、救い主(メシア)のことです。また、彼ら(5.1)とはイスラエルの12部族、彼の兄弟の残りの者とは、ユダ以外の11部族(ベニヤミンとアッシリアによって失われた10部族)のことです。また、彼ら(5.4)とは、アッシリアで、最後の彼ら(5.5)とは、八人の君主です。アッシリアの国の近くまでクシュの国およびバベルなどのニムロドの支配する国々が広がっていました。このクシュの国の勇士であるニムロドが支配した国々をさして、ニムロドの国と呼んでます。

(バベルの塔はニムロドが支持して建設されたとの伝説もあります)

このミカ書で分かりますように、救い主とは軍事的かつ政治的な救い主像であることがわかります。

2.平和の君

 イザヤの預言は、そのまま読んでもわかりやすいですが、この部分については、違和感があるのではないでしょうか?

『11:6 狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。11:7 牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。11:8 乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。』

 狼と子羊、豹と子山羊、子牛と若獅子。一緒にしては危険な動物同士です。弱いものが食べられてしまうはずですが、そのようなこともなく、しかも小さい子供がその世話を焼くというのですから・・・

こうして、強いものも弱いものも同じえさを食べ、同じ寝床につく そういう時代が、世界がやってくるということが預言されています。強いものがほしいままに弱いものを虐げ、むさぼるこの現実の世の中とは異なった空間がやってくるのです。その世界では、毒蛇は人を殺す能力を持っていても、その牙をむけることはないので、無防備な幼子が蝮の巣に手を突っ込んでも、蝮は噛みつかないのです。

 エッサイの根のその日が来れば、『何ものも害を加えず、滅ぼすことがない』 平和な世界がやってくるのです。