コリントの信徒への手紙一13-31-13:13

は圧倒的

聖書研究

 この箇所は、パウロの手紙の中でも有名です。所謂キリスト教の「愛の章」として知られています。

信仰(πίστις):ピスティス-信仰、忠実さ

 宗教において、信仰は非常に重要です。私たちはイエス様を信じることによって救われます。しかし、愛と同じくらい大切なものでは無いと、パウロは言います。

希望(ἐλπίς):エルピス-期待、希望

 未来に対して不安な時に、希望が与えられることは、幸いです。不幸な時にあっても、キリスト教は、信徒の未来への希望を与え続けました。最も顕著なのは、終末論です。終わりの日の裁きによって報われる日を思い、信仰を持った人々は望みを頂いているのです。

愛(ἀγάπη):アガペー-愛、善意

 パウロは、信仰や希望よりも愛がさらに大いなるものだと語っています。このアガペーの愛は一方的な愛ですから、受け身ではありません。自ら積極的に、無条件に行動するものです。私たちには、自分以外の人を、そして世界中の人々を愛することが求められています。

ここで、「信仰、希望、愛」は、グノーシスの「預言、異言、知識」と対比されています。すなわち、いかに素晴らしい「預言、異言、知識」があったとしても「信仰、希望、愛」が伴なわなければ無に等しいのです。


1.アガペーの愛は圧倒的

 すばらしい「預言、異言、知識」があったとしても、愛がなければ、これらで得られるすべての成果は取るに足りない無価値なものです。これは、コリントの信徒への警鐘であります。コリントの教会の人々は「預言、異言、知識」の賜物を重要視していました。そして、その評価は、その賜物があるのかないのか? そして、誰の方がその賜物で優っているか?でした。 しかし、よく考えてみると「預言」に長けていたからと言って、どうなのでしょうか? 預言とは、神様から預かるものです。ですから、神様が用いようとするならば、確かな預言が与えられるでしょう。そこには、長けるだけの素質や訓練は何も必要ないはずです。多分、信仰が強さを見せたい結果、神様から用いられているように示すために、「預言に長ける」とは すなわち嘘偽り を言ったことを指すのでしょう。異言は、そのままでは意味が分かりませんので、通訳の役割をする賜物とセットでないと機能しません。異言だけでは希望につながらないのです。そして知識。「預言、異言、知識」のなかで、知識は最も活用しやすく、有意義であります。しかし、「預言、異言、知識」は、手段でありまして、しかも悪にも使える物であります。それに対して、「愛」は目的であります。世界中の人を愛するようになる。それを、目標にする過程で、その道しるべとなる「信仰」と「希望」があるのです。ですから、愛に優るものはありません。


2.アガペーの愛とは何か

 ここでパウロは愛を他と比べることを一時やめ、本当の愛とはどのようなものかを、語ります。この箇所では、愛の指し示す意味を説明します。典型的な、「聖書による、使われている言葉の正しい解釈」を提供している箇所だと言えます。

 パウロが言う「愛」とは、本来、理論的な説明も、神学的な説明も不要なものです。純粋に、「キリストの愛を隣人にお届けする」のが、真心のこもったパウロの言う愛なのです。そして、この愛こそがコリントの教会に決定的に欠けていて、どんな優れた賜物があろうとも、無意味にしていたのです。愛が欠けていたため、隣人への愛に目標が設定されませんでした。教会の人々は、それぞれがそれぞれに与えられた素晴らしい賜物を使いますが、この群れの成長には寄与しなかったのです。それは、それぞれが勝手に思っている目標に向けて賜物を発動するために、教会全体としては支離滅裂だったのであります。与えられている賜物の力は、全方位に分散しただけではありません。双方で反対に向けて発動する賜物の矢は、ぶつかり合って落ちてしまうのです。教会は、その人の数と外見に見る賜物とは裏腹に、神様からのあらゆる賜物の価値を見失い、霊的に欠乏した状態にありました。

3.愛は不滅

 パウロは再び愛と霊の賜物とを比較します。愛は決して滅びない、という点で愛は霊の賜物とは比べられないほど高みに位置しています。愛とは異なり、霊の賜物はすべて、結局この世では不完全な手段でしかありません。そして、神様の奥義が明示される時がいつか来ます。その時には、「預言、異言、知識」で話す賜物も、霊的な賜物としての意味を失います。もはや、キリストの愛の前に、誰もそのような賜物を必要とはしないからです。このように、いつか預言はすたれ、異言はやみ、知識は意味を失います。しかしその時、愛はもはや決して消え去ることのない完全なものとなります。

 それらは、来るべき再臨の時に実現することを予告するものです。そういう意味で、賜物は一時的なはかないものではあります。しかし、愛は神様の賜物のなかで完全で且つ永遠なのであります。そして、イエス様を求める人にとって、最良の賜物なのです。その愛を求める道を通じて、イエス様を信じる者は皆、キリストの愛を求め、そして与えていくのです。