エフェソ2:14-16

 平和の祈り 

2021年 8月 15日 主日礼拝    

平和の祈り

聖書 エフェソの信徒への手紙2:14-16 

おはようございます。今日は終戦の日ですから、平和礼拝としての宣教を取次ぎます。先の世界大戦では、多くの犠牲者を出しました。犠牲者のほとんどが、本人の意思ではなく、まきこまれたのです。また、この国のリーダーは国民の不利益となる戦争を始めてしまい、そしてやめることが出来ませんでした。そして、国家権力を使った言論の統制などによって、多くの人を戦争へ加担させていきました。日本バプテスト連盟の諸教会は、当時は日本基督教団の一構成員として、戦争に賛成していました。決して、クリスチャンは宗教の自由に対する被害者だとは言い切れません。日本基督教団を挙げて、国の戦争に賛成し協力したからです。例えば、日本基督教団の婦人部は、戦闘機を軍隊に寄贈する等、直接的な武器まで提供していたのです。私たちは、クリスチャンの国民として、そのことを記憶し続け、そして子供たちに二度と同じ過ちを犯させないように、教えていくことが必要だと思います。

今日は、半藤一利(はんどう かずとし)さんのエッセイ集「歴史と戦争」(2018年幻冬舎新書)から、ご紹介したいと思います。

この人は、『日本のいちばん長い日-運命の八月十五日』(当初の名義は 大宅壮一編, 文藝春秋新社, 1965年/角川文庫, 1980年)などを書いた、戦争を題材にした小説家であり、また近代戦史の研究家でもあります。戦争の反省については、色々な人が色々な意見を言っていますが、今日は半藤さんがエッセイの中で広い視野、長い目で語っているところを中心に、お話したいと思います。

幕末の大動乱でひどい目にあったのは

「あの大動乱の時代に誰が一番ひどい目に合ったかといえば、われら民草なんですよ。慶応元年(1865)から慶応3年くらいまでの間に、どのくらい飢饉が起きて、どのぐらい一揆がおきているか、もう驚くほどです。それに政治の方で権力争いがたえないわけですから、民草の苦労ははかり知れないですよ。」

 調べてみますと、この3年間の飢饉は全国的なようです。またそのような国の大事のとき、慶応2年に薩長同盟が結成され、そして幕府が2回目の長州征討に出て、大敗を喫しています。この事実を見て、先の世界大戦や現代のコロナなどの危機対策と同じような空気を感じます。政治は民衆の助けのために動いているわけではない、という悲しい事実がそこにはあると思います。

 海陸軍はかくて陸海軍になった

「明治維新の直後のころは陸海軍ではなく海陸軍と海を先に、陸をあとにつけて読んでいたんですよ。つまり、四面海なる帝国ですから~ところが、国内の反乱がおきて、最後は西南戦争(明治十年)という大反乱が起こる。そういう事情を早く見て取って、国内向けには陸軍が大事だと、陸海軍にたちまち逆転してしまうのです」

このエッセイによると、「海軍は国を守るための軍隊でしかなく、陸軍は政府の要人である政治家を守る軍隊なので、海軍より上でなければならない」と判断した事になります。

日露戦争時の日本人捕虜

「~日露戦争時には、捕虜の汚名はなかったのがハッキリする。そのことを思うと、太平洋戦争下においてしきりに唱えられた『戦陣訓』の「生きて捕虜の辱めを受けず」がもたらしたものが、なんと非情であったことが痛感させられる。~」

戦時下の軍事教育がもとで、多くの人が犠牲になりました。「生き恥をさらさない」との「都合の良い教え」の為です。しかし、このとんでもない教えを作った人が悪いと言いたいのではありません。これも権力者の都合で、造らせたと思われるからです。国民は黙って言うことを聞きなさい。こういう考え方ですから、最前線で犠牲になるのは国民で、安全な所から号令をかけている権力者は無傷で生き残るのです。

きれい事のみ戦史に残し(高級指揮官の戦史編纂上の指摘)

「日本兵は戦争において実はあまり精神力が強くない特性を持っている。しかし、このことを戦史に残すことは弊害がある。ゆえに戦史はきれい事をのみしるし、精神力の強かった面を強調し、そのことを将来軍隊教育にあって強く要求することが肝要である。」(これは日露戦争の反省だそうです)

こうして、「日本兵は勇敢だ」と言う事実とは正反対な嘘をつき、嘘を元に教育をしました。そのため、後輩たちは、勇敢なふりを演じながら死んでいったことになります。都合の良いことを捏造し、都合の悪いことは歴史から消し去るのでは、歴史に学ぶことが出来なくなります。

おっかない時代は治安維持法改正から始まった

「大正十四年(1925)四月、加藤高明内閣のときに、共産主義運動、無政府主義運動の弾圧を目的として施行されていた治安維持法の改正問題が浮かび上がる。~これまでの最高刑の懲役十年を引き上げ、死刑または無期を追加する・・・・。

 官憲がこいつは怪しいとみれば、疑いだけで委細構わずに検束するという、おっかない時代はじつにこのときにはじまったのである。」

先の大戦で、牢獄に入れられた牧師がいましたが、その逮捕根拠は治安維持法でした。コロナ対策で、なぜ現代の日本ではロックダウンができないかと言いますと、この治安維持法のために国民の自由が著しく損なわれたことへの反省からです。しかし、現在の政府は、あの手この手を使って、政府の裁量で誰でも逮捕できた戦時中の体制への変更を求めているようにも見えます。それを許しては、独裁政治に逆戻りする恐れがあります。そういう意味で、おっかない時代は、現在の問題であり続けます。

それは昭和十二年三月三十日に配布された

「林銑十郎内閣はとんでもないものを残していった。文部省思想局編で発行されたパンフレット「国体の本義」である。これが全国の学校・教科団体にくまなく配布される。内容はひと言で言えば、「万世一系の天皇を中心とする一大家族国家」が日本の国体である、という考え方を中心におき、それ以外の一切の思想を排除し、「君臣一体」を強調する教育統制強化を意図するものである」

政府は、思想を統制するために、天皇を神様として、礼拝する教育を国全体で進めたわけです。思想の自由、教育の自由、言論の自由、宗教の自由の全てを壊すものでした。こうして、この年に日中戦争がはじまったのです。

次の世紀までも記憶しておくべき昭和十八年の「夜郎自大」

※「夜郎自大」:夜郎自らを大なりとす(「世間知らずで、自信過剰」を表す)

「~われら国民の願いとは無関係に、当時のリーダーたちがとんでもないことを意図していた事実を指摘しておきたい。昭和十八年五月三十一日、御前会議で決定された、「大東亜政略指導大綱」の第六項である。『マレー・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベスは、大日本帝国の領土として、重要資源の供給源として、その開発と民心の把握につとめる。・・・・これら地域を帝国領土とする方針は、当分、公表しない』」

国民向けには、「対米英戦争は、アジアの植民地解放という崇高な目的をもった戦い」と言っておきながら、領土的な欲望丸出しだったわけです。しかし、そもそも石油が出る地区を欲しがったその発端は、英米からの貿易規制でした。今の北朝鮮や中国と同じように経済制裁を受けたので、日本にエネルギー(石油)や原材料が入りにくくなったためです。もともと、国際的に協調をとって中国への侵略にのめりこんでいなければ、経済制裁などはなかったのです。外交の失敗が、さらなる失敗、新たな戦争まで引き起こす原因となったのです。

白旗を掲げられなかった理由

「-あの悲惨な戦争を、なぜ、もっと早く止めることが出来なかったのか?という質問を多くの人から受ける。後世からみればなんと愚かなことを、という酷評を甘受するほかはないであろうが、大日本帝国はそんなに簡単に白旗を掲げるわけにはいかなかったのである。なぜなら、アメリカが頑強に「無条件降伏」政策を突き付けていたからである。・・・戦争に勝利が無いことが明らかになっても、乾坤一擲(ケンコンイッテキ:一か八かの勝負に出るさま。)の決戦によって何とか大勝利を得て、少しでも有利な条件で講和にもちこみたい、政府も軍部も悲壮なまでにそう祈願し、あるはずのない必勝の作戦を模索し戦い続けていたのである。」

この指摘は、悲しいですね。有利に交渉するために博打のような作戦をとったと言うことです。負ければ負けるほど、大逆転を狙うというのでは、もはやギャンブル依存症と変わりません。 無理な計画、成功する確率がほとんどないような計画を立ててしまったとしましょう。もともと無理な計画なので成功しません。失敗するだろうこと、そして情勢が悪くなることが目に見えていても、計画が実行されてしまいます。そして、その結果がバレバレになっても、力ずくで隠すのです。つまり、「うまくやっている」と思わせるポーズのために、確実に情勢が悪化していくわけです。いわゆる、「やっているつもり という感じ」だけ出すということです。最近の政府に対しても、「やっているつもり内閣」という批判が聞こえたりするように、政府が本心から国民のために働かないのであれば国民は不幸ですね。こういう批判は、国の暴走を防ぐために続けることが必要です。私たち一般の市民が担わなければならない役割なのです。国民の方を見ていない政策を戒めるために必要なのです。権力を行使する立場にたまたまある人も、そして、その権力の行使に協力する立場にたまたまある人も、神様の前に罪を犯してはなりませんし、罪を犯させてはいけないのです。

みんなが燃やしちゃった

「陸軍省と参謀本部などがあった市ヶ谷台の庭では、終戦前日の八月十四日の晩から十五、十六、十七日まで、延々と火が燃えていたそうです。陸軍が資料を燃やしていたんですね。ただ、陸軍の悪口ばかりは言えない。新聞社もみんな日比谷公園に集まって、資料から写真まで燃やした。本当に日本人は歴史に対するしっかりとした責任というものを持たない民族なんですね。軍部だけではない、みんなが燃やしちゃったんですから。~ポツダム宣言の実施でわれわれは裁かれる。軍事裁判がおこなわれる、それが怖いから都合の悪い資料は残さない、燃やしてしまえというのは、明らかに自分の時代しか考えていない、「おれの仕事」しか考えない、後世の者への信義に欠けている。・・・国家には「資料の保存、それがおまえの仕事だろう」と言いたいですね。」

これは最近の問題そのものです。この話題を聞くと、財務省の資料問題を皆さん思い出すと思います。私たち日本人の正義は、どこに行っているのでしょうか?

そして最後に半藤さんが、 昭和史を語り終わって思ったことは

「戦前の昭和史はまさしく政治、いや軍事が人間をいかに強引に動かしたかの物語であった。戦後の昭和はそれから脱却し、いかに私たちが自主的に動こうとしてきたかの物語である。しかし、これからの日本にまた、むりに人間を動かさねば・・・という時代が来るやもしれない。そんな予感がする。」

という事でした。

 

今日の聖書は、イエス様によって「二つのものが一つに」とのみ言葉です。ここで聖書が言う二つのものとは、直接的には、ユダヤ人と異邦人の事であります。この二つのグループは、同じ神様を礼拝しながらお互いに敵意を抱いていました。ユダヤ人と異邦人の間には「律法」という壁があるからです。しかし、イエス様によってその壁は壊されます。イエス様の十字架で流された血によって、「律法」に対する罪は許され、そして「律法」を完成させ、お互いの敵意を消されたのです。この和解は、ユダヤ人と異邦人の和解だけでは留まりませんでした。イエス様がこの和解を仲介することによって、結果としてすべての人と神様との間で和解が齎らされているのです。こうして与えられた平和は、真実の平和です。

 イエス様の和解は、どんな2つのグループでも、イエス様によって一つにまとまります。ユダヤ人、特にファリサイ派の人々は「律法主義」の名のもとに権威を振りかざし、異邦人を思ったように支配しようとしました。一方で、異邦人は「律法主義」に反発していました。パウロの言う「信仰による救い」の教えに従っていたからです。しかし、決してお互いに自分のグループの言い分のため、敵意を持って言い合うのではなく、キリストの正義を行う同じイエス様を信じる仲間として尊重しあって、和解を導くことができます。そして、最も一致できる事は、私たちがイエス様のご意志に聞こうと祈ることです。祈ることによって、ユダヤ人のファリサイ派の人々も、私たち異邦人のクリスチャンも、神様との和解が実現します。神様を介して、人同士の和解が出来るのです。

今日は、「平和礼拝」ということで、政治家や軍人たち そして民衆という立場から、お話しました。神様がいて、イエス様の十字架による救いが無ければ、この平和と和解は実現することが出来ず、力が強い者が弱い者を虐げる結果となってしまいます。なぜなら、人間の性(さが)では、神様の正義を実現できないからです。政治家は政治家の都合、軍人には軍人の都合で行動します。そして民衆は、被害者であるとともに、その利害関係から戦争にも加担してきました。これは、人間の歴史が始まって以来、解決されない永遠の問題であり続けています。ですから、私たちは神様の正義を実現するために、祈って、恐ろしい戦争が再び起こらないように、小さな出来事であっても、戦争へのきざしを無くしていくよう努力していく必要があります。その働きは、敵意があっては達成できません。ですから、イエス様に祈ってそして祈って、お互いに真に和解したところで、ようやくささやかな平和が与えられるものです。

平和をもたらすようイエス様に祈って、そして政治家と民衆の間に本当の和解があることをイエス様に祈って、平和を実現していきましょう。