ルカ8:26-39

 ゲラサの人をいやす

 

 到着した「ゲラサ人の地」はガリラヤ湖の南東に広がる異邦人の地です。その地でイエス様のもとに悪霊に憑かれた一人の男性がやって来ました。


1.悪霊に憑かれた男が正気になる

 男は、言葉も行動も悪霊に支配されていました。彼は、普通あり得ない場所である墓場で、孤独な生活をしていました。彼の言動によって、ほかの人と一緒に生活できなかったからです。イエス様はその男と出会いました。一番最初にイエス様を出迎えたのです。待ち構えていたのでしょうか?それとも、ゲラサの人々は、イエス様が来ることを知らずに、歓迎していなかったのでしょうか? 少なくとも悪霊は、イエス様がどのようなお方であるかを知っています。主イエスに『いと高き神の子イエス』と大声で言いました。彼らとりついている悪霊は、自分たちがイエス様にかなわないこと、つまりイエス様に自分たちを滅ぼす力があることを知っていました。悪霊たちは、自分たちのことを「レギオン」(当時のローマ軍の一個師団をレギオンと呼び、約6000人で構成)と言います。悪霊たちはレギオンと名乗るほどに数の多かったのですが、イエス様お一人に立ち向かうことを諦めていました。そして、彼らが願ったのは、この男から追い出されるのは仕方がないとして、『底なしの淵』に落とすのではなくて、せめて豚の群れに憑かせてもらうことでした。その許しをイエス様に求めたのです。イエス様がお許しになったので、彼らはその男から出て豚の群れに入りました。するとたくさんの(2000匹マルコ5:13)の豚が崖を下って湖になだれ込み、溺れ死にました。

 イエス様は、豚の命を犠牲にして、悪霊に憑かれていたこの人を解放したのです。すると、 悪霊を追い出していただいたこの男は『服を着て、正気になってイエスの足もとにすわって』いました。衣服を身に着けずに墓場や荒れ野をさまよっていた男が、今、服を着てイエス様の足もとにおとなしく座っているのです。この男が、正常な人間として、社会生活を回復したことがわかります。そして、『イエス様の足もとに座っている』ことこそが、その男が救われたことを表しました。イエス様の足もとに座る男は、イエス様の足もとで、そのご命令に聞き従う者となったのです。それまで悪霊の働きに振り回され、心の中の思い、出てくる言葉と行いも自分ではどうすることもできなかったその男が、イエス様によって思いもよらず自分を取り戻しました。自分の理性で言葉を語り、行動することができるようになったのです。


 わたしたちも、かつては罪に支配されていた者、そして今でも罪に支配されそうなことには変わりはありません。その私たちを罪の支配から解放するために、神様は独り子イエス様を遣わして下さいました。そして、罪からの救いと永遠の命がイエス様の 十字架と復活によって与えられました。今、この男と同じように、私たちもこのイエス様の足もとに座って、神様のみ言葉を聞いて、イエス様に聞き従う者となっているのです。このイエス様によって与えられた救いを告げる福音。私たちは、福音を聞くことによって、神様に愛され、罪を赦され、支えられ生かされている自分を再発見できます。神様を礼拝し、神様からそしてイエス様から愛されていることを知って、私たちは人との交わりの中で生きることができるのです。


2.家族や町の人々に証しする

 イエス様は、ゲラサの人々から出て行くように言われました。悪霊に憑かれた男のためにゲラサの人々の収入源であり、食料である豚を大量に殺したからです。イエス様は一行と共に、舟に戻ろうとします。イエス様によって救われて正気になったこの男は、イエス様が弟子たちと共に戻って行こうとするのを見て、お供したいと願いました。彼はイエス様と一緒にいたい、従っていきたいと願ったのです。イエス様に救われたこと、そして今まで誰にも相手にされなかったのが、一人の人間として扱っていただいたことからです。

しかし、イエス様はこのように言われて彼を帰したのです。

『自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。』


 イエス様は、この男にこの土地に残って「証をすること」を求めました。それは、今も変わりません。神様に救われた者は、その体験を人の前で証しをすることを、求められています。なぜなら、イエス様の事を証しできるのは、イエス様によって救われた者、そして救われたいと願う者だけだからです。悪霊たちは、イエス様のことを「神の子」だと知っていました。そして、イエス様に出会うと、すぐに「神の子」だと証をしました。

 一方で、『8:34この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。8:35 そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。』とあります。

豚飼いたちも、うわさを聞いて見に来た人々も、イエス様を証しすることはありませんでした。なぜならば、イエス様によって救われていないし、救ってほしいとも願っていないからです。その点、悪霊たちはイエス様に許してもらって、豚の中にはいりこむことが出来たのです。イエス様は、悪霊さえもお赦しになったのです。悪霊たちは、許されるとすぐに豚の群れの中に入りました。これも一種の証しの行動であります。

 この町で残された、イエス様を証しすることができる人はこの男だけでした。自分に憑く悪霊を追い出してもらったことで救われて、本来の人間関係を取り戻すことができました。その男にしかできない使命が、今、イエス様から与えられたのです。このゲラサの地でイエス様の事を証することです。そして、この人は実際に応答しました。

『その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。』


 このゲラサの男は、イエス様のご命令以上の働きをしました。イエス様が求めたのは、

『8:39 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」』でした。ところがこの人は、家族だけでなく、「町中に」言い広めました。感謝の応答だったからです。