ローマ13:1-14

支配者への従順

  1.支配者への従順

 「キリストに倣って、自身を捧げなさい」と12章でパウロが語ったあと、支配者への従順を教えます。パウロは、すでに殉教も覚悟の上だったのでしょうか? この時のローマの皇帝は、(ローマの信徒への手紙はコリントで紀元56年に書かれています。)ネロ(紀元54年- 68年在位)です。ネロの悪評はよく知っていると思われます。(59年に母、62年に妻を殺害し、ポッペアと結婚。64年のローマ大火をきっかけにキリスト教徒を迫害)しかし、ネロの政治は、最初のころは評判がよかったようです。ですから、悪政を前提にしたパウロの言葉ではないようです。また、キリスト教の迫害はあっても、まだユダヤ人によるものでしかなかったのです。ですから、悪い支配者がいたと想定する必要はありませんが、常にある程度は上に立つ者の悪があることは、前提としなければなりません。

 『人は皆、上に立つ権威に従うべきです。』この言葉の中に、たとえ悪と見えても従うべきだという考えがあります。なぜならば、その上に立つ権威を与えたのは、神様だからです。神様の立てた者に逆らってはなりません。もし、本当に上に立つものが悪であってもです。上に立つ権威の悪は、私たちが裁くのではなく、神様が裁いてくださるのです。ですから、私たちは上に立つ権威に対して、従順にしていればよいのです。決して、上に立つ者の悪に対して、悪で逆らってはいけないのです。そして、上に立つものが善であれば、私たちは善を行って、悪を行わなければ、何も心配することはありません。逆に、私たちが悪をするならば、上に立つ権威は、恐ろしい存在になるはずです。(パウロは、言及していませんが、上に立つ権威が悪である場合、悪を行うことを阻止したい者にとって、それは恐ろしい存在です)権威者は、剣を帯びて悪を懲らしめる役割を担っているので、私たちは従うべきなのです。決して、納めるべき税金を払わないとか、私たちの義務を追わないために、不従順であってはいけないのです。

 

2.隣人愛

 第一の負い目は、借金です。クリスチャンであろうがなかろうが、人は無駄な出費を避け、払うあてのない借金を負わないように気をつけなければならなりません。また、すべての楽観的冒険や軽率な関与、そしてすべての義務を果たすために、危険性のあるものから、私たちは、遠ざかるべきです。だれかの借金を保証するのもいけません。一人一人が自分の責任を負うべきです。他人が負っている借金を保証することは、借金を負うことになります。しかし、この金銭トラブルに非常に敏感な人であっても、多くの人は罪や負い目についてほとんど考えていません。第二の負い目は、他者への愛です。ここには、借金を除くすべての義務が含まれます。十戒のうち最後の五つは、すべてこの愛に要約されています。私たちは自分自身のように隣人を愛さなければなりません。自分自身を愛するのと同じ誠実さをもって、隣人を自分自身のように愛する者は、隣人の幸福を願うのです。

 愛は、律法全体に従うことを可能とする生き生きとした活動です。人と人のつながりや、財産、感情を傷つけることを避けるだけではありません。愛による活動は、いかなる人に対しても、いかなる種類の悪ももたないようにするのです。

 

3.救いは近づいている

 

 ここには、クリスチャンの一日の仕事のための指針として、4つのことが教えられています。

いつ目を覚ますのか?:今すぐ。

 肉欲的な安心感、怠惰、怠慢の眠りから、霊的な死の眠りから、目を覚ますのです。

時を考える:忙しい時、危険な時。また、救いが間近に迫っていることを考える。

 私たちは自分の道を考え、歩み直しましょう。もう旅の終わりに近づいているのです。すでに夜が過ぎ去り、身支度を整える時です。夜中に着ていた衣服など、脱がなければなりません。闇の世界での罪の業を捨てるときです。

私たちは何を着なければならないか:自分の魂をどのように着飾るべきかを考えなさい。

 光の武具を身につけましょう。クリスチャンは、自分が聖霊の恵みで武装していないなら、それを着ることを考えなければなりません。聖霊の恵みとは、サタンの誘惑やこの悪の世界の攻撃から魂を守るための鎧のことです。キリストを身につけること。神様から義とされるために、キリストの義を身につけてください。義とされるために、キリストの霊と恵みを着るのです。主イエス・キリストを、わしたちを支配する主であると同時に、父なる神様によって油を注がれ任命されたキリストとして、身につけなければなりません。そして、どのように歩むか?起きて準備ができたら、じっと座っているのではなく歩こうではありませんか。イエス様は、私たちを見ておられる神様を喜ばせるために、歩むべき道を教えています。いつでも、昼間のように品位を持って歩き、暗闇での業のような行いを避けなさい。

私たちが最も注意しなければならないのは:私たちの魂を養うことです。

 二つのことが禁じられています。1つは、心配事や煩わしい世話事で自分を混乱させること。もう1つは、無法な欲望にふけることです。自然な欲求には応えるべきですが、行き過ぎた貪欲は否定しなければなりません。必要なもののために肉を求めることは私たちの義務であり、日々のパンのために祈るように教えられています。しかし、欲望のために肉を求めることは、神様への挑発となってしまいます。