ヨシュア記6:1-20

信仰が城壁を・・・

2023年 1015日 主日礼拝

『信仰が城壁を』

今日の聖書はエリコの戦いからです。この物語は大変有名でありまして、黒人霊歌の「ジェリコの戦い」でも、よく知られています。実は、このエリコと言う町は、人類史上最も古い町の一つだと考えられています。紀元前1万年前にすでに町が出来ていたようです。そして、今日の記事が紀元前1406年のころですから、引き算すると町が出来てから8500年くらいと言うことになります。この間にエリコの町は2度ほど火災で全滅しております。この記事の出来事の後、エリコの町は別の場所にできましたので、新約で出てくるエリコの町は、旧約とは別の町となります。エリコは、死海の北西にあります。イスラエルがヨルダン川の東からカナンの地に入るためには、このエリコが最初の重要な町でありました。また、考古学的にも、この町は注目されています。崩落した城壁の謎を究明しようとするわけですね。結局、聖書の記事を裏付けようとした人々が見つけたのは、エリコが世界で最も古い町の一つであること、そして崩れた城壁は、聖書の記事よりもはるかに昔のものであることでした。つまり、考古学的には、エリコの戦いの痕跡は見つかっていないのです。

 歴史的事実から見ると、エリコは紀元前1560年にヒクソスの侵入によって廃墟となり、その後エジプトの第18王朝からの遠征があって、この地方は制圧されていたようです。ヒクソスってご存知ない方が多いでしょう。ヒクソスは、エジプトの第15,16王朝の事です。このヒクソスは、シリア・パレスチナ地方の民族で、文字を持ちません。そういうことから、考古学的に空白の時代です。エジプトの宰相となったヨセフの記録がないのは、たぶんこのヒクソスの時代に、ヨセフがエジプトに売られてきたからだと思われます。また、ヨセフを知らないファラオというのは、第18王朝だったら、ヒクソスの宰相など知らないのは当然の事であります。この、エジプト第18王朝の時代に、モーセが生まれ、そしてエジプトを脱出したわけです。

 というわけで、このエリコ陥落の物語には、色々謎があります。まず第一に、ヨシュアの時代には、すでにこのエリコの町は廃墟になっていることです。そして、鬨の声で城壁が崩落するものか?ということであります。また、その当時のエジプトのファラオのことです。モーセと丁々発止やりあったファラオは、誰なのか全然わからないのですね。聖書にラメセスの町が出てきます関係で、ラメセス2世だとの説がありますが、第19王朝の初代王であるラメセス1世でも、紀元前1293年から1291年ですので、時代的には100年もあとです。そして、残念な事に、脱出したイスラエルの記録はエジプトにはありません。ですから、想像を膨らませた諸説があっても、それを立証することは出来てないのです。


 さて、エジプトを脱出して40年間さ迷っていたイスラエルの民は、ヨシュアに引き連れられて、カナンの地に入る最初の戦いに挑みます。と言っても、古くからの都市ですから、町全体が城壁で囲まれていて、堅く城門を閉めていれば、簡単には攻撃することが出来ません。城壁に近づいたら、矢で打ちすくめられたり、石を落とされたりするので、攻める方が圧倒的に不利です。強引に攻めるとしたら、城壁にはしごをかけて、人海戦術でよじ登る という戦いになります。破城槌で城壁や城門を壊す攻め方は紀元前300年くらいに始まったものであります。また、攻城塔を造って、そこから矢を打ち込んだり、城壁に乗り移ったりする戦法も紀元前200年くらいにできたものであります。つまり、当時城を攻める決定的な手段がなかったので、相当の犠牲が出ることが予想されます。それを避けるためには、遠巻きに封鎖する方法をとることも考えたでしょう。兵糧攻めと呼ばれる方法です。これには長い期間がかかるので、攻める側も寝泊まりをする環境を整える必要があります。また、敵地ですんなりと食料を調達できるわけがありません。ですから、城攻めには、組織的な調達と輸送が必要です。そして、城壁を昇るためのはしごや、自分らを守るためのバリケードを敷くために資材を運ばなければ、戦いようがありません。ですから、敵地で戦うためには、相当な準備が必要なのです。


 ヨシュアは、そのために十分な準備をしていたのでしょう。しかし神様は、エリコの町を不思議な方法でヨシュアの手に渡すことを告げます。

『見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。6:3 あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。6:4 七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。6:5 彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。』


 神の箱には、十戒を刻んだ石板二枚と、アロンの杖、そして壺に入ったマナが納められています。神の箱を先導して、六日間町を一周する。そして七日目に町を七周。そして、鬨の声をあげると、町の城壁は崩れる。神様はこう予告したのです。ヨシュアはさっそく、祭司たちを呼んで指示を出し、民にも伝えます。何の疑いももたずに、行動している様子から、ヨシュアは、神様に対して極めて従順だったわけです。そもそも、神様がイスラエルの人々に約束したカナンの地には、他の民族が住んでいます。そこにイスラエルの人々が入るのですから、友好的に入るか?奪ってしまうか?を選ぶことになります。ところが、ヨシュアは最初から、戦おうとしているのですね。全然迷っていないと言えます。そのよりどころは、神様とイスラエルの民との契約にありました。

出エジプト『6:4 わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。』

 普通の契約は、双方が対等な立場で結ぶ約束ですが、神様との契約の場合、一方的に神様が約束します。つまり、「神様が自らの恵みを授ける」のが契約なわけです。「神様が自らの恵みを授ける」ことは、祝福することであります。神様がイスラエルを祝福して、カナンの地を約束しました。祝福には、神様が行うものと、人が行うものがあります。人が行う祝福は、神様に祝福してくださいとの執成しの祈りなので、どちらにしても「恵みを授けるのは神様」であります。そして、その約束は無条件で、一方的であります。ヨシュアは、この約束してくださった神様を信じ、戦うためにカナンの地に入ったのでした。

 ところがです。ヨシュアは、軍事的な戦いを準備してきているのに、神様の指示は宗教的儀式でした。とても、意味が分からない指示です。どうして鬨の声で城壁が崩れるのか? 考えるほど不思議であります。しかし、これも神様の約束だといえます。神様は、一方的に約束して恵みを下さるのです。ですから、神様の指示は、約束であり、そしてイスラエルの民への祝福であると理解しなければなりません。そして、ヨシュアも祭司もイスラエルの民も、すこしもつぶやくことが無く、神様の指示・そして祝福を受け入れました。思えば40年間荒れ野をさ迷った民です。モーセが引き連れていた40年間、彼らはつぶやき続けました。そして、いざカナンに入るための偵察が帰ってきたとき、「カナン人にはかなわない」とのデマが流れて、騒ぎが起こりました。


民数記『14:1 共同体全体は声をあげて叫び、民は夜通し泣き言を言った。14:2 イスラエルの人々は一斉にモーセとアロンに対して不平を言い、共同体全体で彼らに言った。「エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。14:3 どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。」14:4 そして、互いに言い合った。「さあ、一人の頭を立てて、エジプトへ帰ろう。」』


 やはり、人の住んでいる土地を奪うことは、恐ろしいことです。負けることを心配してしまうのです。そして、神様が約束して下さった祝福を返上しようとしました。そこで、神様はこの民を捨てます。具体的には、神様が約束を守ることを信じなかった民が死に絶えるまで、約束の地カナンに導くことはなかったのです。

民数記『14:11 主はモーセに言われた。「この民は、いつまでわたしを侮るのか。彼らの間で行ったすべてのしるしを無視し、いつまでわたしを信じないのか。14:12 わたしは、疫病で彼らを撃ち、彼らを捨て、あなたを彼らよりも強大な国民としよう。」』

 神様は、何度もイスラエルの民に裏切られました。しかし、それでもまた、さらにイスラエルの民を祝福します。こうして、神様は一つ一つ準備を重ねて、イスラエルの民を導いたのです。


 そして、エリコに来て7日目。イスラエルの民はエリコの町を7度回り終えました。

『6:16 七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。「鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。6:17 町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。』


 神様は、この時のためにイスラエルの民を荒れ野で40年間鍛えていました。もし、このとき、神様の約束を疑って鬨の声に加わらない者がいたら、神様は城壁を崩すと言う、しるしを示さなかったでしょう。だからカナンに入る前、民が戦いを恐れて騒いだときに、神様は新たな準備をしたのです。それは、神様を侮る者が死に絶えてから、カナンにはいることでした。その神様の準備によって、エリコに入った時には、神様を疑う者はいなかったのです。


 『6:20 角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。』


 これがしるしです。イスラエルの民は、神様への信仰を取り戻していたのです。そして、それは神様が一方的に約束し、導いたから、取り戻せたのであります。決して、イスラエルの民が、何かをしたからではありません。神様は、このように気の遠くなるような準備と導きをしてくださいますから感謝です。神様は、いつでも私たちを祝福しています。この祝福にそして、神様に信頼して導いていただきましょう。