創世記2:4b-17

人の創造

エデンの園の場所(ただし一説)

 この箇所は、明らかに創世記1:1~2:4aとは、別の伝承であります。第三の日に木も草も創造されていますが、ここでは『2:5 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。』とされております。


 また、エデンの園の位置は特定されておらず、出てくる地名を根拠に諸説あります。


1.生物の出来る順番

 この箇所では、天地創造後も神が雨を降らせなかったので、生き物がいなかったとしています。そして、真っ先に作ったのが人間。泥をこねてその鼻に息(命)を吹き込むと、人間は生きる者とされました。天地創造の物語では、6日目にした業、つまり、最後の最後に人を造ったのは、そうしなければ人間は生きていくすべがなかったからと言えます。ところが、この箇所では生き物の創造の先駆けとして、人を造ったわけです。その次に神は、エデンの園を造成します。その後、食べられる実をもたらす木を生えさせ、園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えさせました。命の木とは、その実を食べると永遠の命が与えられ、善悪の知識の木とは、その身を食べると善悪を判断する知識が与えられるとされます。そして、他には何も生物を造られていません。(この箇所のすぐ後19節で、神様が生物を造っています。)

2.4つの川

 4つの川のうち、ピション、チグリス、ユーフラティスの3つは、所在が分かっています。しかし、エデンの園を水源としてギホン川が流れていると言うことであれば、ギホン川は明らかにナイル川ではありません。しかし、楽園があって、そこから流れる川の恵みによって、生き物がはぐくまれたことを象徴しているのであれば、ナイル川であっても支障はないと思われます。この箇所は、水と人類・生物の発展の関係を書いたものだとの理解で、メソポタミア文明とエジプト文明が、川の恵みによって成立したことを思い起こさせます。

3.園に住む人

 神は、人を園に連れてきます。人がエデンの園で生活するように命令したわけです。園を耕して生活しなさいと。ただ、この時の生物は、人と木しか神は創造していませんでした。草も動物もまだ存在しません。木の実を食べ、そして土を耕して、実のなる木を増やす。そういう生活だったと言えます。


『「園のすべての木から取って食べなさい。2:17 ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」』


 ここで注目したいのは、生命の木の実も食べてよかったと言うことです。生命の木の実を食べると、永遠の命を得ることが出来る。つまり、この時のアダムは永遠の命を持つことを許されていたと言うことになります。そして、禁じられたのは善悪の知識の木の実を食べる事だけです。神は、「必ず死んでしまう」と言いました。それは、すぐに死んでしまうとの意味ではなく、永遠の命を失ってしまうことを指します。それは、神を選ぶか(善と訳されている)、神に背く(悪と訳)かを選択する(知識と訳)木であります。神に従うなら、神の命令通りに食べることをしません。そして、神に背くならば木の実を食べることになります。


 この時点で、アダムは知識がなかったわけではないことに注目したいです。アダムは神からエデンの園の管理を任せられました。それだけの知識は、与えられていたのです。ですから、判断能力が無くて木の実を食べてしまったのではなく、意図してさからったと言うことです。全てを創造して、神様は良しとしました。そして未完成のままのものが一つだけ残されていたのです。人の、神様への帰属意識と、従順さです。