1.エレミヤの怒り
『10:17 包囲されて座っている女よ/地からお前の荷物を集めよ。10:18 主はこう言われる。見よ、今度こそ/わたしはこの地の住民を投げ出す。わたしは彼らを苦しめる/彼らが思い知るように。』
「包囲されて座っている女」とは、エルサレムの住民のことです。エルサレムの住民に対して主は、「地からお前の荷物を集めよ。」と命じます。それは、これからの旅のためにです。そして、旅は、バビロンまで捕虜として歩くと過酷なものです。エルサレムがバビロンによって滅ぼされてしまうからです。でも彼らは、高をくくっていたのです。18節にあるように、主はこの国の住民を今度こそ苦しめます。「今度こそ」というのは、今まで以上にということです。今度は、放り出されて苦しむことになります。これは、捕囚の民としてバビロンに連行されることを示しています。
『10:19 ああ、災いだ。わたしは傷を負い/わたしの打ち傷は痛む。しかし、わたしは思った。「これはわたしの病/わたしはこれに耐えよう。」10:20 わたしの天幕は略奪に遭い/天幕の綱はことごとく断ち切られ/息子らはわたしのもとから連れ去られて/ひとりもいなくなった。わたしの天幕を張ってくれる者も/その幕を広げてくれる者もいない。10:21 群れを養う者は愚かになり/主を尋ね求めることをしない。それゆえ、彼らはよく見守ることをせず/群れはことごとく散らされる。』
近く起こる捕囚を知らされたエレミヤはどうなったでしょうか。エレミヤは、深い悲しみに打ちひしがれました。それは天幕が略奪され、そのすべての綱が断ち切られ、神の民が連れて行かれる。天幕が荒らされ、そのすべての綱が断ち切られるというのは、約束の地が踏みにじられるという意味です。そして、捕囚の民となり、そこに牧者はいません。エレミヤは、エルサレムがそのようになることを、嘆いているのです。それはエレミヤにとって癒しがたい自分の傷だと受け止めました。
2.エレミヤの悟り
『10:22 声がする。見よ、知らせが来る。北の国から大いなる地響きが聞こえる。それはユダの町々を荒廃させ/山犬の住みかとする。10:23 主よ、わたしは知っています。人はその道を定めえず/歩みながら、足取りを確かめることもできません。』
ここでエレミヤは、一つの声を聞きます。どんな声でしょうか。それは、北から大いなる地響きが来るという現実です。北からアッシリアが、そしてアッシリアが衰えると、バビロンがエルサレムを目指して焼てきます。そして。ユダの町々を荒れ果てさせ、アッシリア、バビロンがエジプトへの道を確保することを指します。
それに対してエレミヤは言っています。エレミヤは、ユダの滅びを前にして、自分の道を主にゆだねているのです。エレミヤは知っていました。人には、歩むべき道を決定することも、その歩みを確かなものにする力もないということを。主だけが、人の歩みを確かなものにできるのです。
詩編『55:23 あなたの重荷を主にゆだねよ/主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え/とこしえに動揺しないように計らってくださる。』
3.エレミヤの祈り
『10:24 主よ、わたしを懲らしめてください/しかし、正しい裁きによって。怒りによらず/わたしが無に帰することのないように。10:25 あなたの憤りを注いでください/あなたを知らない諸国民の上に。あなたの御名を呼ぶことのない諸民族の上に。彼らはヤコブを食い物にし/彼を食い尽くし/その住みかを荒廃させました。』
これはエレミヤの祈りです。人は神様の恵みと助けがなければ、どうにもできないことを悟ったエレミヤは、民のために泣きながら祈ります。怒りによるのではなく、ただ、義しい裁きをもって懲らしめてくださいと。これはどういうことかというと、「わたし」つまり、イスラエルの民を神様が裁いて、滅ぼし切ってしまわないように、との祈りです。また、「あなたを知らない諸国民」、これはアッシリアとバビロンのことですが、神様の憤りを注いでくださいと祈っています。
彼らはヤコブ(イスラエル)を食い、これを食いつくし、国を荒らしたからです。これはどういうことかというと、バビロンはやりすぎる ということです。彼らはユダの民を懲らしめるための単なる神様の道具にすぎません。しかし、バビロンは神様の懲らしめの範囲を超えて、イスラエルを破壊しつくしたのです。破壊しつくしては、イスラエルへの救いはなくなってしまいます。エレミヤは、神様の計画を知ったうえで、「そこまでしなくていいだろう」と。だから、神様のみ旨に配慮しないバビロンの王様に神様の怒りが下るように、祈ったのです。神様は、イスラエルの救いのために、バビロンを使って国を滅ぼしました。しかし、それは滅ぼすのが目的ではなく、イスラエルの民が神様に立ち返るためだったのです。エレミヤは、この祈りによって、バビロンを滅ぼし、イスラエルが復活し、救われることを祈っているのです。