1.ヤコブの旅立ち
ヤコブは父イサクの家を離れて、ひとり旅に出ます。 理由は、父イサクの家の長子の権利の問題です。 アブラハム、イサクと引き継がれてきた神様の祝福を、ヤコブは自分が引き継ごうと狙っていました。いよいよ、長子の権利が父イサクから兄エサウに引き渡されようとして、準備に入った時、母リベカはそのことを知ります。以前から、弟が長子の権利を引き継ぐと、神様から啓示を受けていたリベカは、ヤコブとともに、イサクをだますことを画策しました。もともと、ヤコブはエサウが神様の祝福にまったく無頓着であったことを利用して、長子の権利は得ていました。イサクを欺く前から長子の権利と父親が受け継いだ神様の祝福をすべて引き継ぐ約束を、手に入れていたのです。残るのは、イサクをだまして、祝福を受けることだけです。
そこに、長子の権利がエサウに受け渡されようとしていることを知ったリベカが、イサクを騙す策を持ってきます。父を騙すことに躊躇したヤコブでしたが、結局、リベカの策に応じて、イサクを騙し神様の祝福を受けます。それが後日発覚し、欺かれたエサウの怒りに触れました。リベカの意向もあり、その怒りを避けるため遠く親戚の家に身を隠すことにします。そして、父の家を離れ出たのです。 ヤコブは、エサウに殺されるかもしれないという「恐れ」がありました。そして、イサクの家を出て、しばらくの間故郷を去らなければなりませんでした。 せっかく手にした財産を手放さなければならないこと、そして神様の祝福を受けながら、この間、族長としての役割を担えなくなったことにさぞかし落胆したのだと思います。 また、この一人旅が無事かどうか、たどり着いたとしても伯父の家に迎え入れてもらえるかどうか、その保証も確信もなかったのです。そこで、
『とある場所に来たとき、日が沈んだので、一夜を過ごすことにした。 その場所にあった石をひとつとって枕にして、横たわった。 すると、ヤコブは夢を見た。』と言うのです。
2.ヤコブの夢
その『夢』は、『先端が天まで達する階段』でした。『その階段が地に向かって伸びている。 しかも、その階段を、神の御使いたちが上ったり、下ったりしている。』のです。 その階段の傍らに神様が立って、ヤコブに夢の中で、『わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。28:14 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。』と約束したのです。
加えて、『 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。』と、夢の中で語ります。 兄エサウに殺されるかもしれないと恐れて、また行く先での生活を見通せないひとり旅です。 手に入れたはずのものをすべて置いたままにして、身を隠すのです。たった一人で人里離れたところに身を置いて、野宿をしたのです。後悔はないでしょうが、恐れと不安の真っただ中に、石を枕にして寝ていたその時です。天と地をつなぐ「階段」が見えました。そこに、神様の御使いたちが上り下りする姿が見えました。
その「階段」は、天から地に向かって伸びていました。 神様と私たちを結ぶ「階段」が、天から地に向けて備えられているのです。神様によって差し伸べられた「階段」を仰ぎ、神様のみ心に従って働く神様の御使いたちが行き来する その景色をヤコブは神様から見せられました。そして、天にいます神様と地上にいるヤコブの交わりを許された「階段」に、ヤコブは気づいたのです。
ヤコブは目覚めました。
『まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。』
これまで、寂しい一人旅だとおもっていたのに、神様が共におられることをヤコブは知りました。神様は、ヤコブを祝福し、そして、共に歩み、守ってくださっていたのです。
『ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。』
ヤコブは、天の神様と この階段でつながっていることを知らされました。そしてイサクから受けた祝福ですが、直接神様との関係へと変わりました。神様は、ヤコブを守り、そして導くことになります。
『28:18 ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、28:19 その場所をベテル(神の家)と名付けた。』
ヤコブは、このように、人を恐れていた者から神様を畏れる者に変えられました。イサクを通して得ようとした祝福のかわりに、神様から直接約束を頂いたのです。 イサクの家を離れた、者が祝福されて、神様の家に招かれたのです。その神様の守りをが与えられ、この後、20年間にわたる寄留先での試練の中にあって、祝福されたのです。