1.あなたを再び集める
『30:2 あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、30:3 あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる。』
29章で神様は、イスラエルの民と新たな契約を結びました。それは彼らの行いによるのではなく、神様の真実とあわれみによってもたらされる恵みの契約です。そして、その契約が彼らに臨み、彼らがすべての国に散らされ主に立ち返る時、どのようなことが起こるのかが語られています。たとえ神様のみことばに従わずに罪を犯し、神様の裁きを受けることがあっても、それで終わりではありません。その罪を悔い改め、神様に立ち返り、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うなら、神様は私たちの運命を元どおりにし、あわれみ、私たちを再び集めるというのです。
2.御言葉は、あなたのごく近くにある
『30:11 わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない~30:14 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。』
ここでモーセは、神様の命じる戒めを守ることについて、あなたがたにとって難しすぎることはないと断言しています。その戒めは遠く現実からかけ離れたものではないからです。それは、あなたのごく近くにあり、あなたの信仰とあなたの口にあるのです。ですから、いつでも聞いて行うことができるのです。
パウロはローマ人への手紙10章でこの箇所を引用しています。信仰による義についてです。私たちが救われるためには天に上らないといけないとか、海の中にはいらなければいけないとかということではなく、信仰のことばを受け入れるということだと言うわけです。すなわち、あなたの口でイエス様を主として告白し、あなたの心で神様はイエス様を死者の中からよみがえらせてくださったと信じる。その信仰によってこそ、私たちは、救われるのです。なぜなら、人は信仰によって義と認められ、信仰を告白して救われるからです。そのために、どこか遠く行くことも、天に上る必要もありません。神様の救いの御言葉はあなたのすぐ近くにあり、あなたの心にあるからです。
3.あなたは命を選びなさい
『30:15 見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。30:16 わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。~30:19 わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、30:20 あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。~』
命か死か、幸いか災いか、どちらを選ぶのかという二者択一です。もしあなた方が神様を愛し、主を愛し、主の道に従って歩み、主の戒めと掟と法を守るなら祝福されます。永遠の命を頂き、民族は繁栄するでしょう。しかしその反対であるなら、必ず滅びます。あなたがたがこれから入って得る土地で、長く生きることはできません。だから、あなたはいのちを選びなさい、というのです。
どちらを選ぶかは大切なことです。そして答えは決まっています。それなのに、私たちの選びにゆだねられています。当然、私たちは神様を選ばなければなりません。しかし、私たちはそれでも、他の神々にひれ伏してしまうのです。命を選ばなければならないということがわかっていても、自分の欲に働く誘惑に負けてしまうのです。ですから、私たちの肉の力だけでは、正解を選ぶことすら出来ません。私たちの心は罪に支配されているからです。しかし、キリスト・イエスにある、命の御霊が私たちを解放してくれました。
1ペトロ『1:2 あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。』
ここでモーセは、「天と地とを、証人に立てる。」と言っています。イスラエルの行く末を、天と地という二つの証人が見ている、ということです。私たちはいつも、見られています。神様ご自身が私たちの心を見ているのです。この神様の前で、私たちは、「主を愛し、主に仕える」と宣言しましょう。その結果として、神様のみことばを行い、いのちを得る力を頂きたいと思います。