1.滅びを預言するヨナ
ヨナのメッセージは単純でした。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」。ヨナはこのことばを繰り返しただけではないかもしれません。しかし、多くは語らなかっただろうと思われます。彼のメッセージは、滅びの宣告によって、罪を覚え悔い改めさせるものです。罪と言えば、アッシリヤは残虐な国として有名でしたが、ここで言う罪はそういう残虐行為を批判しているのとは違います。彼らには7つの神があって、その中でも女神アシュタロテが代表格です。この女神はギリシャではアフロディト、ローマではヴィーナスとなったとされています。この女神は、性道徳の乱れを引き起こしたとして知られています。この罪の町にヨナは乗り込んで、はっきりと罪と滅びを宣告しました。
2.悔い改める王様と人々
ヨナのメッセージによって、ニネべの町に罪の自覚が与えられました。そして、徹底して悔い改めたようです。ニネベの町だけではなく、王様自ら徹底して悔い改めました。
『3:6 このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、3:7 王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。』
このニネベの王の悔い改めには、三つの応答を見ることができます。
・ヨナのメっセージを聞く
・粗布をまとって灰の上に座る(王の悔い改めの姿勢)
・ニネべに断食を命じる(神に祈るよう民に命令)
王は悔い改め、そして民たちにも悔い改めを呼びかけたわけです。
『3:8 人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。』
徹底した悔い改めの呼びかけだと言えるのは、家畜や牛も羊にも断食を呼びかけ、家畜にも荒布をまとわせようとしていることからです。
『3:9 そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」』
この言葉は、可能性に賭けていることを示します。確信はないが、神様が求めていることは、「悔い改め」であると理解し、自ら率先して粗布をまとい、灰を被ったのです。第一に、自分らの罪を知っており、そして神様を畏れたからです。そして、層でありながらも神様に信頼して「悔い改め」たのでした。
私たちは神様を意識し、自分の罪を意識する時、その重大さを知ります。しかも、これは神様からの働きかけがあるから、そのように導かれているのです。そこで私たちは、赦されるためにどうしたらいいかと悩みだすわけです。犯した罪は拭いきれないし、どんなに償おうとしても、償いきれません。やがては、神様の裁きにあうわけです。
もし、罪を悔い改めるならば、神様は裁きを思い直してくださる。「思い直す」ということばは、人間に対して使用される場合は「立ち返る」「悔い改める」という訳になります。しかし、神様の場合は悔い改める罪はありません。従って、神様が「悔い改める」ということもないので、神様に対しては「思い直して」が適切な訳だと言えます。人間の側が罪の悔い改めというかたちで「心を変える」ならば、神様の側でも「心を変える」つまり、裁きを思いとどまってくださるということです。神様は私たちの悔い改めを待っている。そして裁きを思い直してくださる。もし、神様が思い直さなかったならば、私たち人間には滅びを待つのみです。けれども、神様を信じて私たちが悔い改めるならば、神様は思い直してくださいます。
3.思いなおす神様
『 3:10 神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。』
ここの「思い直す」という表現は、9節の「思い直す」と原語が違います。こちらは「あわれむ」「慰める」という意味のことばです。
神様は裁きを思い直し、慰めてくださるお方です。その慰めはことばだけに終わらず、具体的なかたちとなるでしょう。