1.気が変に?
「あの男は気が変になっている」。ここがポイントです。食事をする暇さえなく、ひたすらに群衆たちの相手をしている。病気に苦しむ人々を癒やし、悪霊に支配されている人々を助け続ける。そんなイエス様を見て、「気が変になった」と、人々は言っていました。そして、その悪口を聞いてやって来たのが、イエス様の身内の人でした。「いいかげん私たちの家に帰って来なさい。・・・」と
「イエスは気が変になった」と悪口を言いふらしていたのは、おそらくファリサイ派の人たちです。ファリサイ派の人たちは、「なんとかしてイエスを捕まえてやりたい、殺してやりたい」と思っていたので、イエス様を“変人扱い”をすることで、評判を貶めようとしたのです。そして、そんな悪口をさらにエスカレートさせたのが、「エルサレムから下って来た律法学者たち」でした。彼らもファリサイ派の人たちと同じで、「なんとかしてイエスを捕まえたい」と思っていたので、「イエスはおかしくなった」だけでなく、「彼はベルゼブルにつかれている」とか、「悪霊の頭の力で、悪霊を追い出している」などと、言いがかりを付けていました。
ここで一つ注目しなければならないのは、ファリサイ派の人たちも律法学者たちも、イエス様が悪霊を追い出していること自体は否定していない、ことです。イエス様には悪霊を追い出す力と、権威があるということは、彼らも認めていたことになります。つまり状況証拠として、イエス様が本当に悪霊たちを追い出していたことが証明されているのです。もし、イエス様の癒しが怪しいのであったならば、ファリサイ派の人たちや律法学者たちは、そっちの方を攻めたのだと思います。また、まったくの「作り話」だとして、無視する人もいるかもしれませんが、衆人の面前で行われていることですから、何にも起きていないのが事実ならば、「気が変になっている」という噂以前に「ペテンだ」とのうわさが広がっていたでしょう。また、弟子たちが、この記事をでっちあげることは、考えづらいです。
「彼はベルゼブルにつかれている」とか、「悪霊の頭の力で、悪霊を追い出している」との言いがかりについて、イエス様は見事に反論しました。「わたしが、悪霊の頭の力にたよって、悪霊を追い出しているだって? そんなはずはないでしょう! サタンがサタンを追い出すはずがないでしょう! 悪霊の頭だって悪霊を追い出すものか!」ファリサイ派の人たちと律法学者たちは、イエス様のこの反論に対して、何も言い返すことができませんでした。
2.サタンは内輪もめしない
『3:24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。3:25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。3:26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。』
国が内戦状態ならば、国は立ち行きません。家庭の中でも、内輪で争っているのであれば、その家庭は存続が難しいでしょう。同じように、サタンもサタン同士で争うならば、サタンの住む世界は荒廃して、住めなくなってしまいます。だから、国が内乱を防ごうとするし、家庭でも内輪の争いを避けます。だから、サタンであっても、同じように自ら滅びを選ぶことはないのです。これで、イエス様が行っていた癒しは、サタンの力や悪霊の頭の力を借りたものではないことが証明されたのです。つまり、イエス様ご自身が持っている力と権威によって、癒しの業が行われていたということです。このことに、ファリサイ派の人たちも律法学者たちも、反論できなかったのでした。
3.強盗の譬え
イエス様はこの時、ご自身のことを強盗にたとえています。
『3:27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。』
強い人とは、サタンのことです。サタンによって占領されていた家を奪い返すには、まずサタンを縛り付けるしかありません。そのうえで、悪霊を追い出したのです。このことは、イエス様がどの悪霊よりも、力があることを示していますし、サタンでさえイエス様にはかなわずに縛り上げられている・・・つまり、イエス様の権威は、絶大であり、最も強いサタンでさえかなわないことを示しているのです。
4.聖霊を冒涜する者
「聖霊を冒瀆する者は、だれも永遠に赦され」ない。「赦されない罪」に驚ろきを覚えるでしょう。「聖霊を冒瀆する」とは、ここでは、「聖霊を悪魔呼ばわりする」ということです。聖霊が働いて、私たちをサタンの支配から救い出しているのに、その聖霊の働きを、「悪霊の頭」と言って冒涜することは、赦されない罪です。また、聖霊の働きを拒否するとは、それは、神様への冒涜です。そして、その罪は永遠に赦されません。しかし、このような大きな罪であっても、イエス様への信仰によって赦されるのです。