エレミヤ書33章は、「慰めの書」(30~33章)と言われる最後の部分です。エレミヤに語られた神様の言葉がこの章に集められています。それらは、「あなたの知らない隠された大いなること」(33:3)ということになります。
1.二度目の神の言葉
エレミヤがまだ宮殿にある牢獄の中庭に監禁されていたとき(エレミヤ32:2参照)、主の言葉が二度目に彼に臨みました。
『33:2 主はこう言われる。創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その御名は主。』
ここに使われている主は、神様の名前ヤハウェです。直訳してみると、こうなります。「このように 、[地球]を造ったヤハウェ、それを確立するためにそれを形成したヤハウェは言う、ヤハウェは彼の名前である、」
『33:3 「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。』
神様を呼び求めるならば、これからエレミヤに大事なこと、まだ明らかになっていないことを告げ知らせようとの神様の約束です。つまりは、4節以降に「まだ明らかになっていない言葉」が語られることになります。
2.国の回復
『33:10 主はこう言われる。この場所に、すなわちお前たちが、ここは廃虚で人も住まず、獣もいないと言っているこのユダの町々とエルサレムの広場に、再び声が聞こえるようになる。そこは荒れ果てて、今は人も、住民も、獣もいない。33:11 しかし、やがて喜び祝う声、花婿と花嫁の声、感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者が、『万軍の主をほめたたえよ。主は恵み深く、その慈しみはとこしえに』と歌う声が聞こえるようになる。それはわたしが、この国の繁栄を初めのときのように回復するからである。』
ユダの町々やエルサレムの街路でさえ、荒れ果てています。彼らがすでにそうであったように、国は敵の手にあり、都市は剣、飢饉、疫病によってほとんど人口が減少し、引き渡されようとしていました。人間も獣も住んでいません。これは、国の悲惨な状況を表現したものです。ユダヤ人の不信仰と絶望を表現し、少なくとも彼らは、今より良い時代を見てきました。しかし、メシアがユダヤに現れ、そこで福音が宣べ伝えられるとき、喜びがやってくるのです。
花婿の声、そして花嫁の声。それは、文字通り大きな喜びと幸福を表現しています。「花婿」とは、キリストを意味しているのかもしれません。キリストは、すべての優しさ、愛をもって振る舞う方です。キリストの声は、花婿としてユダヤの地で聞かれたのです。そして、「花嫁」とは、花嫁である教会、小羊の妻が彼と結婚していることを意味するかもしれません。
「万軍の主をほめたたえよ」と言う者の声。教会の夫であり、民の贖い主であり、すべての主権者である主への賛美です。国が再興する時に、この賛美も復活するとの言葉でありました。
『 33:14 見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。33:15 その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。33:16 その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。』
神様が用意しておられる祝福を受けるために、このメシヤの約束があります。メシヤは教会に恵みの約束をしました。なぜならメシヤは私たちのために神様が下さったからです。そして、私たち信徒はキリストにあって義とされます。キリストは私たちの主なる神であり、私たちの義であり、私たちを聖化し、私たちを贖います。メシヤの王国は永遠の王国です。神様の約束は保証されています。ダビデのための正義の若枝。これは、切り株からひこばえが生えるように、ダビデの血筋から一人のメシヤが生まれるとの約束です。そのとき、エルサレムには平和がやってきて、街は「主はわれらの救い」と呼ばれるとのことです。原語から見ると、「ヤハウェは私たちの義である」なので救いと言うのは、意訳だと思われます。
なお、付け加えますと、イエス様の名前の語源は、ヘブライ語で「ヤハウェは救い」を意味します。ユダヤ人の男性名。原語であるヘブライ語では、イェーシュア(イエス)またはヨシュアになります。イエス・キリストと彼の教会は一つであり、かしらと教会員は一つです。それゆえ、教会はキリストと呼ばれています、エルサレム全体がキリストと呼ばれました。キリストは夫であり、教会は彼の配偶者です。そして、夫と妻が同じ名前を持つように、キリストと彼の教会も同じ名前を冠します。さらに、キリストはご自分の民に対して義とされるだけでなく、彼らもキリストにあって神の義とされるのです。